『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』と “I amsterdam”

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ブログで告知しようと思ってる前にイベント終了してしまったのだけど、7/31(土)に、8/21公開予定(渋谷・ユーロスペースにて)のドキュメンタリー『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』の\公開前特別上映会&プレ・トークを実施しました。そちらのレポートも書いてなくて、今日書かなくっちゃ、というところなのだけど、とりあえずブログではドキュメンタリーをみて感じたことなど書いときます。(イベント当日は、受付他諸々でトークも映画も見られなかったんだけどね^^;)

※ ※ ※

I amsterdam

I amsterdam

まずはこの写真をみてほしい。
アムステルダム市内にあるMuseumplein(ミュージアム・スクエア)と呼ばれる広場の中心にどーんと置かれている「I amsterdam」の立体ロゴ。これは、2004年から始まったアムステルダムの都市プロモーション・キャンペーンのキャッチ・コピーである。

都市は多様で複合的なものである。だが、そこにいるのは「人」である。人々がよりクリエイティブでよりイノベーティブでいられる都市、それがアムステルダムである。アムステルダムにいる人が「I amsterdam」と言うとき、私たちははっきりと誇りをもって、アムステルダムを自分たちのまちとして選んでいる恩恵を、機会を、その素晴らしさを表すことができるのである。(I amsterdam 宣言より)※1

「I amsterdam」キャンペーンについては、公式サイトや『シビックプライド 都市のコミュニケーションをデザインする』に詳しい。曰く、「アムステルダムの資産は人」という視点の元、”観光客増加” のためではなく、住んでいる人一人ひとりの「この街に住む誇り」をあげていくためのキャンペーン、都市と人々とのコミュニケーション、だそうだ。

 「I amsterdam」というメッセージは市民ひとりひとりに向けられたものである。報告書でも「カナル・シティ」や「ナレッジ・シティ」といったよくあるスローガンは避けなければならないと述べられている。このような言葉では、アムステルダムの多能で多様な輪郭を示すには狭すぎるし、誰かが考えた概念を市民に強要するにすぎないからだ。ケッセルクラマーの「I amsterdam」というコンセプトは、自由でクリエイティブな都市アムステルダムにいる「自負」を心に引き起こしてくれる。この言葉は「アムステルダム精神」を表す。そして市民ひとりひとりの心の中いなる気持ちを揺さぶるのだ。


「I amsterdam」キャンペーンは、人々の心の中に自負を呼び覚ます一方で、行政もまた、市民の自負に応える都市になるという宣言でもある。※1

長々と前段を書いたが、私が最初に『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』を観た時にまず思い出したのはこのキャンペーンのことだった。

もう一度冒頭の写真に戻ると、「I amsterdam」立体ロゴの後方に大きな建物が見えるが、これこそがアムステルダム国立美術館である。そして、この写真が撮影された当時(2007年)この美術館は、「自負あるアムステルダムの人々」たちの反対にあい、リニューアル・オープンの目処が立たずに閉館中だったのだ。

工事中のアムステルダム国立美術館

工事中のアムステルダム国立美術館

奇しくもちょうど、このキャンペーンが開始した2004年、19世紀に設立されたこのオランダ最大規模の国立美術館は、改修工事を開始した。しかし、ほどなくして地元の「サイクリスト協会」の人々から猛反対を受けることになる。なぜならば、美術館側が出した改修建築プランによると、美術館を貫く大きな(そして、多くの人々や自転車が南区へ行くのに使用する)道路の真ん中を美術館中庭へと続くスローブにし、自転車が通る通路は狭い両側道に”追いやられた”からだ。結果、サイクリスト協会を中心とする「改修プラン反対派」と、「国立美術館は許可を求めていない。かなり進んだ段階で計画を示しただけだ」とする南区地区委員会の見解により、美術館は工事を延期せざるを得なくなる。

市民が大事にしていた通路
改修プランに反対している人々からは、このような言葉が出る。道路は公有財産なので、通路の内側に建物を建てるなんてとんでもない。私達は洒落た入り口ではなく、絵を見に美術館へ行くのだ。等々
これに対し、館長は戸惑いを隠せず、(まさにこの改修プランが認められてコンペに勝ったはずの)建築家コンビは怒りを顕にする。

「大変に残念なことだ。素晴らしい建物を作るという誇りがないのが。すべてが”自転車”に矮小化されている。オランダ人の”足”に。しかしそれは小さな国の裁量さを示すだけ。そういうと尊大とか傲慢とか誤解されるが、私は美術館のために最善を願う。(中略)我々は、アムステルダムの国際的芸術都市の地位を守ろうとしているのだ」

「最初から僕らを選ばなきゃよかった。僕らはこの計画に適任なのか? 違う、却下されたのだから」

そして、最後に音を上げた建築家が言い放った言葉がこれだ。

これは民主主義の悪用だな。民主主義はもっと崇高なものだよ

アムステルダム国立美術館館長

アムステルダム国立美術館館長

曲がりなりにもアート・マネジメントを勉強していると、公益とかパブリックとか地域の人々とか……そういうことを考えなくてはいけないところがある。しかしながら、例えば美術館にとっての「パブリック」とは何なのか、そのためにすることは何なのか、というのは、案外議論されつくしていないとも思うし、早急な解釈が「何か違う」ことを引き起こしていることもある。なので、この言葉は非常に重い、と思う。

興味深かったのは、頂いた資料にあったこの監督のインタビューによると、このような事例は「極めてオランダ的な現象」と捉える向きもあること。監督曰く、たとえばこの美術館に限らず、アムステルダムの地下鉄工事もさまざまな人々の声が入ってきて終えることができないでいるそうだ。(「何をするにしてもそれに反対する人が必ずいて運動を始めるため、民主主義を実現する過程がとても複雑になり、結局はどんな決定もなされず、最後は妥協案に落ち着くことになるのです」)

つまり、人々が自分の街のことに対して、積極的に関与するからこそ起こってしまう出来事……。「I amsterdam」キャンペーンがなくてもそういう都市なのだろうけど、やはり、「陽」としての都市キャンペーンの理想や華々しさに対する、「陰」――いつまでもできない美術館や地下鉄、ということを感じてしまうのね。もちろん、どれだけ監督自身が「個人的な意見は押し出していない」と言っていても、そこは人の作るものだから無意識であったとしても「ある視点」があるのは当たり前で、そういう意味でちょっと描かれる比重の偏りがあることはたしかなのだけど。

ただし、(「陰」が悪いという意味ではないように)それが「悪い」というわけではもちろんなくて、トーク・イベント(ゲストはBankART 1929代表池田氏と建築家集団みかんぐみの曽我部氏)内では「そういう議論に晒されるだけいい」という話になっていた模様。日本では、議論になる前に納期重視で建物がたっちゃって、でもその後、人々からの苦情の電話1本で規制されてしまうというようなところがあると。
※トークに関しては、私は聞けなかったので、私が知る限りの参加者のツイートをまとめてみたので、ご参考までに。「パブリックのプライベート化」など、気になるキーワードもあります。

ちなみに、この映画は4年間かけてじっくり撮影されているのだけど、美術館のリニューアル・オープンとともに発表予定だったのだけど、予想外の時間がかかってしまったので「途中まで」の形での上映となったとか。で、一応今、”その後”としてパート2の準備をしているんだそうだ。パート2こそ、リニューアル・オープンの時に公開される予定だとか。今回は、話の流れ的にもやもやしたものがありつつのエンドだったけど、次回作はオープンの時の晴れやかな映像もあるとよいなあ。

でもまあ、現実っていつだって「もやもや」してるもんですけどね。

『ようこそ、アムステルダム国立美術館』は、8月28日より渋谷・ユーロスペース他、全国で順次公開。劇場情報はこちら

いろいろ書いたけど、アート・マネジメントに興味のある人はみて損はないと思いますよん。エントリに書いていない部分も多々あるし、どういう結果かはご自分の目でご確認をば★

※1:『シビックプライド 都市のコミュニケーションをデザインする』シビックプライド研究会:編(宣伝会議/2008年)

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