美術館における visitor と audience の違いとは?

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Reach Advisorsというミュージアム等の機関向けコンサルティング・ファームがやっている”Museum Audience Insight”というブログで、面白いエントリがあったのでご紹介

ミュージアムの「Visitor」とミュージアムの「Audience」って、同じような意味としてよく考えずに使うけど、このふたつは意味が違うよね……? という内容で、実際にこのエントリ書いている Susie がミュージアムにおける「Visitor」と「Audience」を定義してみて、みんなの意見をきいている。

たしかに日本語でも、ミュージアムやシアターのマネジメント分野で「来館者研究(visitor studies)」とか「鑑賞者開発(audience develpopment)」とか単語はよく出てくるけど、厳密に分けている気はしないし、代替可能ぐらいの意味で使っている気がする……

というわけで、Susie による定義を大雑把に言うとこんな感じ

  • visitor
    物理的にミュージアムへ「訪問」する人。
    美術館の館外での活動やプログラムに参加する人。
    ウェブサイト上で参加する、訪れる人。
  • audience
    ミュージアムと彼らが提供するものに対し、興味と愛着心を持っている人。
    そして、「visitor」の範囲の方が広く、「audience」の方が狭い。つまり、「visitor」は「audience」では必ずしもないが、「audience」は「visitor」を兼ねている。

これに対して、いろいろなコメントがついていて面白い。

曰く、

  • 「audience」の方が「visitor」より、意味は広いのではないか?
  • 「visitor」は、ミュージアムに参加することに自覚的だが、「audience」はたまたまアウトリーチ(館外活動)やその他のプログラムでミュージアムに関わることも多い。ゆえに「visitor」を増やした方がいい。
  • 「visitor」はアクティブなのに対し、「audience」は受動的だ。
  • 「audience」はミュージアム側の定義に沿った人々なのではないか……などなど

そのコメントに対しての Susie の疑問の投げかけも面白く、

  • 「visitor」が、「ミュージアムにきている」という理由で「アクティブ」であるというならばバス・ツアーできた客はどうだろう? ほんとうにミュージアムに興味があるか? 友達と一緒にいることや、その前の行き先に興味があるのでは? いわんや、ミュージアムへの愛着心をや。
お疲れ気味 @メトロポリタン美術館

お疲れ気味 @メトロポリタン美術館

私がこのエントリを読んで思い出したのが、このブログでも何回か書いた Art Newspaper調べによる日本の展覧会動員数ランキングでの強さだ。

動員数ランキングで1位でも、個人的にはなんか複雑な気分(=そんなに美術館が生活に根づいている感じが体感としてしないんだけど、という気持ち)だったのは、上の「visitor」「audience」の違いの話に通じるのだなと思ったわけ。ランキングで出されている数字(「attendance figure」)は明らかに「visitor」の数である。たしかに、日本は特定の展覧会への「visitor」はとても多い。しかし、ミュージアムの「audience」と呼ばれる人はどれほどの規模でいるのだろう? そもそも、「audience」とはどのようにはかるべきなのか?

とかって考えると、私はわりと Susie さんの感覚に近いことを思ってるのかな。「audience」が受動的、っていうのがよくわからない……というのは、ミュージアムにおける環境の違いもあるのかもしれないけど。

※ ※ ※
さらに面白かったのが、エントリの中で NY Times の下記記事を取り上げていて

記事によると、ブルックリン美術館はそのポピュリズムにより来館者数を減少させているが、同時に「First Saturdays」と呼ばれる毎月第一土曜にミュージアムで音楽やお酒を楽しめる空間にするイベントの参加者数は増えているという(左グラフ)。これって、「visitor」は減ったけど強い「audience」を持っているとは言えないだろうか?という投げかけもしていること。

これについては、このエントリのコメントでは触れられていないのだけど、NY Times の記事の方では”大衆迎合”なブルックリン美術館に対して70以上コメントがついてて、「あんなのは美術館じゃない!」「館長交代!」とかってエキサイトしている人もいれば「私は大好き。よく行ってる」という人もいたり、まあ「否」が多い賛否両論という感じで興味深い。

私自身は、これが”強い”「audience」なのだろうか、というのはちょっと素直にうんと言えないものを感じるかな……。ミュージアムが、お酒とか音楽とかも楽しみつつ作品も見るような気軽な場所になればいいな、というのは「すっごく」ありつつも、それがイコール”強い”(ここがポイントね)「audience」かと言われると、なんとなく違和感もある。

つまりこれもまあ、すべて「ミュージアムってなんなんだよ」というところ、前エントリのミュージアムが担うパブリックとはなんなのかみたいな話に通じていくわけなんだよな。そしてそれはおそらくひとつの答えはなく、皆がそれぞれの「そうなんじゃないか」を持ちつつ、個人の中でもその答えは変わっていく。(だから、自分と違う「そうなんじゃないか」を持っている人に対してNoとは言うのは違う)

なので私も、「違和感があるんだよね」ぐらいしか言えないのだが、ひとつ、『美術館は誰のものか 美術館と市民の信託』という本の中に、現時点の私が共感できる「ミュージアムってなんなんだよ」につながる記載があったので紹介しとく。

しかし、私たちは誰もが、一点の作品の前に立ち、その作品の力に圧倒され、展覧会の「命題」を忘れてしまう経験を持っている。ステファン・グリーンブラッドは、この特殊で力強い経験を「驚異」と呼んだ。それは「会場を歩く鑑賞者を立ち止まらせ、唯一無二のものという感覚によって鑑賞者を釘付けにし、夢中で見つめさせるような、展示された<もの>の力」の中にある。私は美術館の目的の一環として、また美術館と市民の契約において肝要なものとして、この「驚異」の感覚を取り戻したいと思った。
(シカゴ美術館館長 ジェイムズ・クノーの文章より)

みえる、なんかみえる!

みえる、なんかみえる!

ジェイムズ・クノー氏の発言は、近年”地域との連携””都市再生”的な話に持って行かれやすい「美術館の社会的責任」「市民のための美術館とは何か」というテーマを、一貫して「作品の力と、それが引き起こす経験」につなげているところがとても好き。(この本自体も、最近読んだ本の中で個人的な共感ポイントが多かった。そういや、グッゲンハイムとともにブルックリン美術館もやや批判されてたな苦笑)そう、なんかそこが一番重要なんだよね。

まあ、オチはないんですが、久しぶりにいろいろとコメントを読み込んだエントリ&記事だったのでご紹介しました。

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