「芸術」で仕事をしていくこと

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※どうでもいいけど、タイトル↑のこと。「芸術」とか「アート」とかって、どうにもこうにも、どれもしっくりこない言い方だな。なんか大仰すぎる気がして、いつも、違和感を感じているのだけど、なんかいい言い方ないでしょうか。笑

まず、ちょっと長いけど、1983年にNYのオルタナティブ・スペースP.S.1の当時理事長アラナ・ハイスが、東京で行ったレクチャーでの発言より引用。

地位についてですが、私のインスティテュートにおける地位というのは、もちろん有給のスタッフで、理事長です。ですから、給料も一番多くもらっています。普通の水準からいってもいい給料をもらっています。(中略)そうすると、私たちは自分のやる仕事というのが一人ひとりに集中しますので、たくさんあって大変だけれども面白いわけです。ですから、その5人のフルタイムも20人のパートタイムの人も、ともかく仕事に対しては正当な報酬を払うというのが、予算を立てるときの前提であって、通常の仕事をしている人よりも給料は、客観的に比較してみて、いい給料を支払っています。それから、健康保険とかもね。※1

要するに、確かに私たちは過激派ではありますが、過激なことを過激にやろうとすれば、そのほうが他のことをするよりよいと思えなきゃいけないんで、思えるようにするには他でやるより、もっといい給料を保証するということが必要だろうと考えるわけです。日本ではまたちょっと違うのかもしれませんが、アメリカでは例えば理想主義的な人とか、無償で良いことをやる人というのは、はっきりとアマチュア視されるということがあります。物質的にもちゃんと勝ち取っていかないと、内容まで低くアマチュア視されるわけです。

当然、私はたくさんの夢を持っているし、ビジネスマンから見ればバカみたいなことを、たくさんやるわけですが、彼らから金を取ろうというときには、自分の給料は実際よりもっと高く言います。立派に世の中に通用することを一方でやっているというふうに見せる必要があるわけです。実際には、例えば電気器具のメーカーなんかから、彼らには理解できないようなヘンテコなものを借りたりするわけですから、それだけでもおかしな人たちだと思われているわけで、それ加えて(原文ママ)、無償でやっていますとか言って、宗教的な臭いがして来ると信用されず、お金も出してもらえない。例えば、交渉に行くと、よく「いいですね、あなた方アーチストは。毎日好きなことをやってられて」と言われますが、「そうなんです」とは絶対言いません。「そんなことはありませんよ。金のためにやっているんです」というふうに私は答えるし、そのほうが、向こうも信用してくれるんです。※1

at Ritz Carlton Singapore

at Ritz Carlton Singapore

美術、演劇、音楽、パフォーマンス、、そんなものが好きで、それを自分の仕事にしたい、という人はきっと多いのだと思う。でも驚くほど、いわゆる「仕事」はない。聞いた話では、それこそ国内外で修士・博士をとり、多言語を操るような優秀な人たちが、美術館のボランティアの応募に殺到するという。

大学院に入って以降、豊かな経験や高い能力をそれぞれの分野で培い、それを「芸術業界」でいかすことができないだろうかという人とたくさん会った。私自身もそう思い続けていて、でも、なかなか自分としてはぴたりとくる、わくわくできる、そんなキャリアが思い描けずに、なので今は自分で仕事を作ってみることにトライしようとしている。もうやりたいことしかしたくない、と会社を辞める時に思って、だから、その時の自分を裏切らないようにしているのだけど、でも、果たしてできるのかなあ、という想いはいつも、いつも、常にある。あとは、高望みしすぎなのかな、とも。あまりに営利企業にそまりすぎたか……とも(笑)。(もちろん、本当にいろいろな縁に恵まれ、けっこういろいろなことをやれる環境においてもらっていると思うけど)

そんな時に読んだのが上の文章。7月に韓国出張に行った時の飛行機の中で読んで、そもそもこの本の中に韓国で訪問できたらしようと思っていた組織が紹介されていたから持って行ってたのだけど、そっちより「参考資料」として後ろに掲載されていたこっちの方が印象に残ってしまった(笑)。以来、ずっとブログにエントリしようと思っていた文章だ。

長々と引用してしまったが、まず、

「当然、私はたくさんの夢を持っているし、ビジネスマンから見ればバカみたいなことを、たくさんやるわけですが、彼らから金を取ろうというときには、自分の給料は実際よりもっと高く言います」

という一文(にある勢い)が好き。あとは、

「過激なことを過激にやろうとすれば、そのほうが他のことをするよりよいと思えなきゃいけないんで、思えるようにするには他でやるより、もっといい給料を保証するということが必要だろうと考える」

という考え方も。ていうか、あまりにストレートで、最初読んだ時思わず笑った(笑)。その後、「そうだよそうだよ、そうだ!」と思った(笑)。たしかに、1983年のレクチャーなので、古いところもある(むしろ、今はもっと事態はよくないと思うし)気がするが、でも、この本自体が発行されたのは今年で、古いのがわかっているうえであえて掲載しているわけだから、根本的なところはそれほど変わっていないのだろうと思う。

at Serpentine Sackler Gallery

at Serpentine Sackler Gallery

たぶん、長いこと植え付けられた無意識の価値観で「好きなことをやる」ことには、「それだけで、まあ幸せじゃん=裏をかえせば、多少得るお金が少なくても」的な発想が私の中に、そしていろんな人の心の中にあるのだろうと思う。一側面としては、それは合っている、とも思う。でも、「好きなことをやる」のは、自分としては必要だと思うこと(別に多くの人のためじゃなくたっていいけど、でも少なくとも自分にとっては必要なこと)をやろうとするわけだから、そのことは自信を持たないといけないんだろう。それじゃないと、自分が好きな「それ」にも、なにより自分自身に対してもえらく失礼である。彼女の発言は、そういうことを思い起こさせてくれる。なんだ、胸張って、事業化して、稼いでいこうよと!

最近は、MCDNという団体を立ち上げてやっているので、同じような想いを抱えている人たちと出会う機会がさらに増え、オフィシャルでもつながりつつ、少しずつ、中でも状況が似ているような人たちとフランクな小さいネットワークも作るようにしている。自分一人でもだけど、やっぱり彼らともいろいろ結託?して、どういうアウトプットかはわからないけど、自分たちがやりたいことで経済的に自立し、お金をまわしていくことをやっていきたいなー、やんなきゃ!と、今日改めてこの文章を読み返して思った次第。

まあ、いきなりなんでこのタイミングで(しかも若干いつもとエントリの毛色違うし)、、という感じだけど、実は弊社は7月末が期末という変なサイクルで、実はちょうど今日、初の帳簿記入が完成したんですね。。。(感涙)。会計士さんにいろいろ教えてもらいながら、少しずつ自分でやっていて、なので、小さいながらもお金はまわっていてることを実感したし、若干出た利益(!)をどうやって次につなげていこうーなんていうのをじみじみと思いを馳せていたというわけなの。うむ、第一期は、いろいろと種まきはしたので、今期はさらに種まきつつ、関わる人も目に見えるサービスも増やして、もっと大きくしていかなきゃな!

というわけで、同じようなことを考えている人は、常に募集ちうですよん^^

※1:共に「NYの疾風、P.S.1 -10年目の報告」(『アートイニシアティブ リレーする構造(海外編Vol.1)』2010年)より

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