アート・コレクター夫婦の物語『ハーブ&ドロシー』

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昨日、11月公開予定のドキュメンタリー『ハーブ&ドロシー』試写を観に行った。雑感をメモ。

夫のハーブは郵便局員、妻のドロシーは図書館司書、二人の楽しみは現代アートを収集すること。
コレクションの基準はふたつ。自分たちの自分たちのお給料だけで買える値段であること。1LDKの小さなアパートに収まるサイズであること。
二人の慎ましい暮らしの中で約30年の歳月をかけてコツコツと集められた2000点以上ものアート作品で1LDKのアパートはいっぱい。
しかも、20世紀のアート史に名を残すミニマルアートやコンセプチュアリズムのアーティストたちの名作ばかり。
やがて、アメリカ国立美術館から寄贈の依頼が舞い込み—-。

 マンハッタンの1LDKに住むごくごく普通の夫婦が、65年にソル・ルウィットの作品を購入して以降、30年以上に渡り現代のアーティストの作品を買い続けその数4,000点以上、アメリカでも有数のコレクターになっていた……というドキュメンタリー。彼らはけして作品を売ることはなく、変わらず小さいアパートに住み続け、1992年にようやく「永久保存が保証」かつ「無料で観ること」ができるワシントンのナショナル・ギャラリーに全コレクションを寄贈する※1

「お金よりコレクションが大事」とインタビューで応える彼らのコレクション方法は、主に

  • アーティストの仕事場へ赴き、
  • 作品を見、
  • 気に入ったら彼らの作品とそれにまつわるもの全てを見たがり、
  • そして最後は「これを買う」とひと言言って(そして時々ローンを組んで)作品を小脇に抱えて帰っていく

……というもの。(オークションやギャラリーで購入したことももちろんあるようだが)ドキュメンタリーでは、そんな彼らのアートと動物に囲まれた生活を、いまや世界的に有名となったアーティストたちのインタビューを織り交ぜながら淡々と描いている。

ドキュメンタリー中、幾度となく描かれているのが、アートを観る時のハーブの「猟犬のような」目と、アートを目の前にして発せられる「美しいね」「これは好きだ」というシンプルな言葉、そしてアーティストとの会話やインタビューに垣間見える addiction というか、obsession というか? 「執着」という言葉なのか……うまく言えないのだが「いい」と思ったものへの急くような気持ち。「ひとつも作品を売らずに」「国立美術館へ寄付」というストーリーは、一見美談ではあるが、この二人は何かを我慢したり、心が清らかだからそうしたのではなく、購入した作品とコレクション全体をわが子のように思ってた結果、当然の帰結だったのだろうと思わせる。(ナショナル・ギャラリーに寄贈する理由を「私たちは公務員でしたから」とさらりと述べていたことは、なんとなくアメリカのパブリックの意識と関連づけられそうで面白いと思ったけど)ああ、根っからのコレクターという人なのだなあという。

そして、個人的にもっとも印象的だったのは、実は二人、特にハーブの勉強量、アートへの素地だ。
これを監督した佐々木芽生さんが「このアーティストの特徴はなんですか? 作品の特徴は? と質問しても、『きれいだから』とか『気に入ったから』とかそういう単純な答えしか返ってこなかった」ことに最初、非常に戸惑いを感じた……と語っていたとおり、見る限りでは彼らの判断基準はそれしかないようである。でも、実は冒頭部分でちょっとだけ語られていたが、ハーブは独学で美術を学んでおり、結婚後はニューヨーク大学で美術史を勉強している。

※こちらのレビューに「ハーブは郵便局で夜勤をし、4時間寝た後に、昼間はニューヨーク大学インスティテュート・オブ・ファイン・アートの Irwin Panofsky の元で美術史を学んだ」との記載がある。

そして、当初はアートに興味がなかったドロシーも絵画のクラスをとり、新婚当時二人は絵を描いていたというのだ。(その作品はドキュメンタリーの中で出てくる)

ちょっと受け取り方を間違えると、「ただただ嗅覚に則って作品を選んだ」というふうに思われがちかなと思ったのだけど、たしかに彼らは「自分の嗅覚」のみを信じていたが、他人の評価などを気に留めてなかっただけで、美術史などの専門的な知識の素地はきちんとあったのだ。そこを取り間違えるとちょっと違う物語になってしまう。と私は思う。

彼らが他のコレクターと大きく違うのは、とにかく全作品を見たがること。私の作風の変化をまるで調査しているように。

ジェームス・シエナ

そう、彼らは作品に至るまでの「下書き」や「設計図」を見たがるが、おそらくそれらからアーティスト個人個人が持っている物語のようなものを嗅ぎとっていたのだと思う。素地としての美術史、そしてアーティストに対する膨大なインプット、彼らとの長期的で定期的な交流(どのレビューだか失念したのだが、彼らはアート・ラバーであると同時にアーティスト・ラバーであるのだ、なんて記載もあった)そういったものがあったうえでの「嗅覚」なのであろう。先にも引用した「猟犬のような」ハーブの作品へのまなざしは、生まれ持っての探求者のような求道的なものを感じる。やることを指図されることが嫌で、反抗して高校を中退し、もともとはアーティストを志していたハーブは、コレクションという形で自分なりの作品をつくっていたのだろう※2

そしてその、ハーブの「変人?」っぷりと、「美意識は人それぞれのものでしょう。。ハーブをハンサムだと思わない人はたくさんいるけど、私にとってはキュートで魅力的な人!」とニコニコと言うドロシーの穏やかさが、奇跡的な?よいバランス。実際、あれだけのアート・コレクションを可能にしたのはドロシーのサポートありきなのだと思う。お金の管理や、社交の部分でのやりとりや。「一見どこにでもいる夫婦」かもしれないが、「いや、こんな妙ちきりんな夫婦、なかなかいない……」と見ていくうちに思う。

劇中、大好きなシーンがいくつかあるが、特に好きなのは、もう年を取り、アートを買わなくなった現在の二人が Mac を買いに行くラスト・シーンだ。

「どういったものをお探しで?」という店員に対し、「メモをしてきたのよ」とカバンからリストを取り出し「えっとね、メールとワードが使いたくて……そんな機能はいらない。安いのでいいわ」と、ひとつひとつチェックしていくドロシー。その間、水槽をひたすら眺めているハーブ。無事、Mac を購入すると、ハーブはドロシーの手を取り仲良くショップを出て行く。出て行く時に、ドロシーは「買ったわ」という感じで、カメラにふりむいてにっこり笑ってMacの箱を見せる。
そのシーンを見た時、「ああこういうふうに、何十年も絵を買っていたのだろうなあ」と、こちらもにこっとしたい気分になった。
このドキュメンタリーのテーマのひとつでもあると思う「彼らにとって、アートは生活だった」が伝わるすごくいいシーンだ。

※ ※ ※

観終わってちょっと思ったのは、この夫妻なり、ドキュメンタリーなりが、アメリカで話題になったのは、もしかしたらアメリカは「アート業界」というものの構造がしっかりしているから余計そうだったのかもしれない、ということ。(詳しくないので印象で言うが)業界があって、買う人がいて、買って、売って、またさらに大きなものを買ってコレクションを充実させて、、という方法がきちんとしていること、そして、それらを回していく存在としてのものすごーいお金持ちがいること。そういったところだからこそ、ハーブ&ドロシーのやり方は鮮烈だったのかも。

なんで、もしかしたら、日本とか、まだそういう仕組が整備されていないと言われる国の方が、規模は違えど、こうやって地道に集めている「ハーブ&ドロシー」はいるのかもしれないな、いたらいいな、なんてことも感じた。

※ ※ ※

しかし、2ヶ月ぐらい前に『ようこそ、アムステルダム国立美術館へ』の話も書いたが、ドキュメンタリーってほんと地道な取材の積み重ねで出来上がるものだなあと思う。『ハーブ&ドロシー』は約4年かかったそうだ。(『アムス』もたしか4年)その間には、資金集めのために、撮影はできず、そのかわり二人の水槽の世話をしたり、FAX用紙を取り替えてあげたり、といった普通の交流をしていた時期もあったという。でも、それが、「逆に映画のためにはよかった」と佐々木さんは語っている。潤沢な資金があればすぐに撮影できただろうけど、ここまで信頼関係は築けず、撮れないカット、撮れない表情もいろいろあっただろうと。

ひとつの「何か」に至るまでの膨大な時間とコミュニケーション、調査の量。お金があればショートカットできる部分もあるけど、でもショートカットせずきちんと貯めるほど、抽出された「何か」の精度があがること。これって、ちょっとハーブ&ドロシーのコレクション方法にもちょっと似てるなと思った。

※ ※ ※

というわけで、『ハーブ&ドロシー』は今年晩秋、イメージフォーラム他で公開予定です。

日本語公式サイトはこちら
英語公式サイトはこちら

いやー、ちょっと前から言ってるのだが、なんかこういう「アート業界」とか「ミュージアム業界」な映画やドキュメンタリーを集めたミニ上映会やりたいな。
日本にはなかなか来ないけど、今までほそぼそと公開されたりDVDで出たりTVで放映されたり、、というのを集めただけでも結構面白いと思う。企画だ!

※1:結局、ナショナル・ギャラリーでも1,000強しか保管できず、2008年より「VOGEL 50×50」という、全米50州の美術館に50点ずつ寄贈するというプロジェクトが始まっている。

※2:同時に、ある意味、ビジネスマンというか事業家というか……そういうシビアな面も非常にあったのではないかなと思わせるシーンもいくつかある。価格の交渉の時はカメラは入れないで、というところ。未完の作品に対して、「これでもう十分」だったり「これはいらない」とアーティストに対し意見を(しかも結構強く)言うところ。「激安で最高のものを欲しがる。単純明快!」と言われるところ。「あの作品、欲しいでしょ?」と言われ「無料ではもらえないよ」と即答するところ。まあ、冒頭に引用した「給料で買えて」「部屋にはいる」というのが購入基準だったというのも言ってみれば事業分野の特定のようなものだ。

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