- May 20, 2013
- #BLOG, #CROWDFUNDING
- JR, アートとクラウド・ファンディング, インタビュー, クラウド・ファンディングの精神, ワタリウム美術館
前回からの続き。
■目次
<前編>
- 「JR ってクラウド・ファンディングだ!!!」
- JR の作品から感じ取った「クラウド・ファンディング」の匂い
- 実は JR はクラウド・ファンディングに難色を示していた
<後編>
前回は、JR が実はクラウド・ファンディングのキャンペーンを実施することに、最初難色を示したという、個人的に衝撃的事実を聞いたところで終わった。
なぜ彼はクラウド・ファンディング・プロジェクト実施をいやがったか。
それは聞けばすごく明快な理由なんだけど、そこの話に行く前に少し、ワタリウム美術館にとってなぜ JR (展)だったのか、なぜクラウド・ファンディング・プロジェクトをすることになったのかについて、少し書いておく。
ワタリウム美術館が JR 展とクラウド・ファンディング・キャンペーンを実施した背景
今回、ワタリウム美術館が JR 展を開催した美術館側の意図は 2 つあるという。
ひとつは、美術史の中での重要性。
ワタリウム美術館はこれまでにも何度か、美術史の重要なシーンとしてストリート・アーティストを取り上げている。
まずは 1983 年にキース・ヘリングの展覧会。これは、彼がまだアメリカのコマーシャル・ギャラリーで扱われる前にいち早く開催した。そして 2007 年にバリー・マッギー。JR はワタリウムが取り上げる 3 人目のストリート・アーティストになる。和多利さんは彼のことを Chim↑Pom から聞き、後述するけれど「新しいタイプのアーティスト」だと感じ、是非、個展をワタリウム美術館でやりたいと思った。
もうひとつの意図は、今の日本の状況へのアプローチとして。
ワタリウム美術館では、東日本大震災以降、「ひっくりかえる展」、「坂口恭平展」と美術館なりの “震災後” の姿勢を示す展覧会を開催してきていて、「JR 展」で三部作だと考えている。前 2 展は日本人のアーティストによるものだったが、最後はクールな視点で今の日本とつきあえる海外作家でやりたい、それにぴったりなのは JR だと考え、既に有名になっていてなかなかコンタクトが難しかったが、なんとか実施できることになった。
さらに、JR には展覧会に合わせたタイミングで、ぜひ東北に行って〈インサイドアウト〉 プロジェクトをして欲しいと考えていた。JR はこちらも最初は展示等に集中するために嫌がったのだけど、いろいろ話もして(このあたり割愛しますね)――結局、行きたい、やろう!というになって実施することになる。これが昨年の 9 月頃の話。
そうなった時点で、〈インサイドアウト〉 プロジェクト東北の実施予算調達はクラウド・ファンディングを使おう、とすでに決めていたそうだ。元々、クラウド・ファンディングには美術館の資金調達方法のひとつとして注目していたのだけれど、なかなかぴったりと合ったプロジェクトがなかったのだけれど、JR のこのプロジェクトであればクラウド・ファンディングを利用してよいと考えた。
もちろん今回の場合、プロジェクト実施は決定で、クラウド・ファンディングで集まらなかったからといって「やらない」ということには出来ないのだけど、最悪の場合は美術館がもつということで挑戦してみることにした。そして始まったのが 11 月からの CAMPFIRE での第一弾プロジェクト「最も世界の注目を集める写真家、JRが日本でアートプロジェクト<インサイドアウト>」となる。
「彼自身は支援を求めていないけれど、彼のことを支援したい人はいっぱいいる」
で、最初の話。
JR はクラウド・ファンディングを利用することを嫌がった。なぜか?
その理由は非常に明快で、
彼は、先に書いたとおり、自身のストリート・アートのプロジェクトを企業他から一切の「支援なし」でやっており、それは対象が個人であったとしても同じだから。
支援を求めないこと。企業であれ個人であれ。
それが彼が作品を作る際の非常に大きな譲れないポイントであり、だからクラウド・ファンディングはやりたくない、というかやれない。英語圏で規模も大きい Kickstarter なんてもってのほか。なので最終的に「美術館」が「東北支援のため」に「日本のクラウド・ファンディング・プラットフォームを利用」してやるのであれば OK であると、そういう条件になったそうだ。
なるほど……
では質問。じゃあそもそも世界各地であれだけの規模のプロジェクトを実施する資金はどこからきてるの?
答え。こちらもとっても単純明快で、彼は自分の作品がコマーシャル・ギャラリーで売れたことによって得たお金を、自身のストリート・プロジェクトにつぎ込んでいる。
つまり、JR は非常にシンプルなんだ、と和多利さんは言う。
彼自身は常にやりたいプロジェクトがあって、それに突き動かされている。
ただしその実施のために、企業スポンサー、ブランド=他からの支援、寄付は求めない。(プロジェクトの独立性のためにも)
徹頭徹尾、自分の作品で得たお金をプロジェクトに回す。
なるほど…………
たしかにものすごくシンプルでわかりやすい。
そこまでの透明性の元に、あれだけのプロジェクトをやっているのはすごいと思うけど、全然クラウド(crowd)な人ではないなあ、あれ?(←話聞いた時の本心 笑)
と、自分の確信が外れたように感じ若干混乱していたところ、和多利さんのこの一言にはっとする。
「でも、彼自身は支援を求めていないけれど、彼のことを支援したい人はいっぱいいるんだよね。そういう人たちは作品を買ったり、無料でスタジオを提供したり、自分にできる形でいろいろ支援をしている※1」
( ゚д゚)ハッ!
曰く、
JR の活動と彼のポリシー、実現していること、そして TED での彼のスピーチを聞いて、たくさんの人が心を動かされ、彼を尊敬されているのだとか。そしてそういうところが、ワタリウム美術館でこれまで個展を開いたストリート・アーティストであるキース・ヘリング、バリー・マッギーと比べても「新しい世代のアーティスト」と思わせるところがあると。
たとえば、
キース・ヘリングは成功した後、完全にコマーシャル・ギャラリーの世界にいってしまった。その気持ちはわかるのだけど、和多利さん個人としては「そこまでそちらの世界に行ってしまうか」と思うところもあった。バリー・マッギーはストリートとコマーシャル・ギャラリーの間を、うまーーく立ち回っている印象がある。
でも、JR はその両方をちゃんとやっているのが面白い。
普通、ストリート・アーティストがコマーシャルの方へ行くと、他のストリート・アーティストとは距離ができてしまうのだけど、JR はコマーシャル・ギャラリー(パリのギャラリー・ペロタン)での成功もありながら、上記のような理由で今でもストリート・アーティストに尊敬されている。そこが、かつても今も、なかなかない存在なのだそうだ。
そして、JR をリスペクトする世界中の多くの人達が、結果、彼をいろんな形でサポートしてしまっている。例えば、今 JR が NY で使っているとってもかっこいいアトリエは、JR の志に賛同した人が「無料で使っていいよ」と言われたビルらしい。しかも、JR はそれを自分で使いつつ、空いている部屋を他のアーティストに提供したりしているという。
……
( ゚д゚)コレダ!!!!!
と、私は思った。
クラウド・ファンディングで一番大事なこと
いきなり話は飛ぶが、
クラウド・ファンディングで資金調達をする際に一番大切なことはなんだろうか。
現時点で私がこれを聞かれた時に、最初に言うことは決まっている。
- まずはクラウド・ファンディングのキャンペーンする前に、(その調達を通じて)そもそも自分のやりたいことをまずは信頼できる周りの人に言っていくこと
- そして、『いいんじゃない』ぐらいのノリでもいいからポジティブに受け止めてくれる人(~仲間、と呼べる人まで)を増やしておくこと
- ある程度増えてきたら、クラウド・ファンディングのこともその人たちにさっさと相談してみること
どんな tips よりもまずはコレが一番大事だと思っている。
だって、突然「お金下さい」と言って人はお金をくれるわけでないし、「begging(乞うこと)」とクラウド・ファンディングには大きな違いがある。
このことは、自分でいろんな事例をみたり、研究している中でわかってきたことだけれど、実は昨年 Kickstarter で CD 等制作&ツアー費として 100 万ドル以上集めたインディ・ミュージシャン、Amanda Palmer も同じことを言っている。
クラウド・ファンディングを成功させるには、少数でいいからファンが必要
ファンがいないっていうのであれば、昔ながらの方法――ライブをまわって、無料で歌って、声かけてくれた人、好きになってくれた人と誠心誠意こめたやりとりをすることを続けて、とにかく少しのファンを作ること
ファンができたら、そこで彼等にクラウド・ファンディングについて意見をきいてみること※2
(ちなみに、Amanda も TED にて「begging ではなく asking(お願いすること)。asking にはパワーがある」というスピーチをし、こちらも大変話題になった)
同じく昨年 Kickstarter で、新作の書店プロモーション費用として 28 万ドル調達した(『バイラル・マーケティング』等の書籍で有名な)Seth Gordon も、自身の Kickstarter 経験を踏まえこんなことを書いている。
「Kickstarter は最終ステップであって、最初のステップではない」
「Kickstarter は近道にみえるけれど、そうじゃない。増幅する装置(maximizer)である」※3
そう、クラウド・ファンディングはそれまでのその人の「結果」、「それまで」を増幅する装置であるだけ、だったりする。
実際に目標に到達する人、中でも多額を集める人のプロジェクトをみると、5 年、10 年単位でのプロジェクトにつながる想いや積み重ね、信頼がある。(これは有名人や大企業だと成功する、というわけではない。むしろ逆の場合も。ここは結構議論になっているところだし、私にとってすごい大事な主張なので、きちんとエントリします)
だから、テクニックでクラウド・ファンディングに成功するわけではない。プロジェクトを立てる前に、まずは自らの「姿勢」を見直すことが必要になったりする。ズルが出来ないし、自分に「有利」になるように資源を溜め込む人ではなく、むしろそれらを気前よくリリースできる人の方がクラウド・ファンディングをすることに向いている場合が多い。そして、そのあたりは、率直にいうと現時点では結構「その人のもってる性質」によるところもあったりする。
そこがクラウド・ファンディングの大変なところでもあり、かつ私が魅力を感じているところでもある。
JR はやっぱりクラウド・ファンディングである
「彼のことを支援したい人はいっぱいいる」という話を聞いた時、そうか、私は JR の作品を観ながら、彼はクラウド・ファンディングをするのに「とんでもなく」向いている人だと感じたんだ、ということに気づいた。
- 今まで考えはしたけれど誰もやらなかったことを、「よし、やろう」とシンプルなツールでやってしまっていること。
- そこに「第三者」的なお金はまったく入らず、対峙する人たちとの直接の関係のみでプロジェクトが進んでいくこと
- そして、そんな彼の姿勢に自然と協力する人たちが集まり、また自分も「仲間」になりたい、彼の活動に賛同する自分でありたいがゆえに支援をする人もいっぱい出てくるということ
うーん、ナチュラル・ボーン・クラウド・ファンディング・マンやん(←笑)。
彼は、クラウド・ファンディングという手法はとらないのだけど、クラウド・ファンディングを実施する時に必要な「資質」のようなものをおそらく天才的に持ち合わせていて(そうそう、彼が利用している 28 ミリレンズのカメラは 25cm まで近づかないと撮影できず、被写体からの信頼がないと撮ることができないという。彼の、世界中のさまざまな人々と信頼を築くことができる様は、やはり才能としか思えない)、まあもちろんちょっとチャラい(失礼!!)見た目どおり適当なところや大変なところもいっぱいあるんだろうけれど、でも少なくとも私が感じるクラウド・ファンディング・スピリッツというもの、それをぎゅうぎゅうに備えている人なのだと思う。
だから私は彼の作品に、ものすごく反応したんだ。
そして同時に、和多利さんが何度か彼のことを「新しいタイプのアーティストだ」と評したことを思い出す。
- コマーシャルとストリートの両立と、それを可能にしているクリーンなポリシー。
- 得たものを若いアーティストにも提供するような姿勢、そこからくる人々のレスペクト。
- さらに作品としても、インサイドアウトにいたっては、ツールを世界に置くことで人々に作品を増幅させていってもらうという、非常に「リナックス的」な姿勢。
- なにより、アートで社会を変えることができる、とまっすぐにいい、それをすごい勢いで日々やり続けていること。
彼のいう「新しいタイプ」というのはすなわち、私が感じた「クラウド・ファンディング・スピリット」なのかもしれない。
「だから、彼のことはとても信頼しているんです」
「もしかしたら、将来ノーベル賞までいってもおかしくないって実は思ってる」
「(今のマーケット主導のアート業界だけではなく)彼が TED でいったようなことが、アートの中心にあるといいなと思っている。少なくとも日本では。」
そう語る和多利さんも、本当に JR への愛情にあふれていた。(最後は私にも伝染して、「JR、かっこいい! かっこいい!」と、きゃあきゃあ言ってしまったほど(笑))
あ、ここにも彼に惹かれ、レスペクトし、応援している人がいるんだな、と私は思った※4。
うん。
やっぱり JR は「クラウド・ファンディング」なのである。
このエントリを書いた背景/クラウド・ファンディングというスピリット
以上が、JR の作品を観たことにきっかけに、いろいろと考えることができたことに対する、私的な覚書。いつも以上に長く、自分の確認をするようなこのエントリを、ここまで読んでくださった方のことは本当に大好きです!!笑(^^) ありがとうございます。
長くなったついでに、さらに個人的なことを付け加えておく。
昨年末ぐらいからずっと、率直に言うと、クラウド・ファンディングに関して、金融としてどうだの、とかベンチャーの資金調達がどうだの、とか、あるいは「メイカーズ」ってムーブメントですよね、とか、ある程度なるほどと思うものの、個人的には関心が薄れてしまっていたところがあった。(もちろん、業務としてそれらのことはキャッチアップも考察もしているのだけれど)
あと、いくつか取材を受けたり、話を聞かれる中で、「クラウド・ファンディングというシステムが可能にする(夢の様な)世界」というふうに捉えられないよう、どう話せばよいのかなあと悩むことも結構あった。
個人的にはそういうことではなく、
- 私にはずっと昔から惹かれてやまない、連綿と受け継がれてきている精神とか態度とか姿勢とか、、そういうものが(特にアート分野やエンタテイメント分野に)あって、
- デジタルによって、その現れ方や、関わり方がとっても抜本的に変化していて、なおかつそれはとってもわくわくすることで、
- たまたまそのひとつの現れ方(でもかなり大きい変化を促しているもの)がクラウド・ファンディングにすぎないのだ。
ということ、そういった「現れ方」「関わり方」をちょっとずつ集めていって、点と点を線にしていくような、そういうことの方にはるかにはるかに、関心が向いていることに気づいていた。そして、そのヒントとなるような、「点」をクラウド・ファンディングとは関係のない、いろんな事象から探しだそうともしていた。
今回私は、その大きなヒントとなる「点」を JR の作品から強く感じたのだと思う。最初はなんだかわからなかったけど、何度も展覧会に足を運んだり、和多利さんからお話を伺ったり、結局何ヶ月も考えがまとまらないままあっちやこっちや寄り道したりしている中で、
- クラウド・ファンディングは「システム」である同時に「スピリット」がある、それが欠けていては成立しない(と私は思っている)。そして、そもそも私はそこに惹かれたのだ、ということ。
- 「(たしかに大きな影響は受けるのだが)最終的に創るのは、システムじゃなくて、人だ」「システムが可能にすることを期待するのではなくて、そのシステムの変化の根底のあるものに”合ってる”自分であるかということ」という(当たり前の)こと。
を、学んだのだ、とこのエントリを書き終わった今、ようやくわかった気がする。
そして今でも、本当に「クラウド・ファンディング」というものがこういうものなのかどうか、てゆーかスピリットなんてあるんか? ということは私にもわかってはいない。
特に最近影響力が大きくなってきていて、本来の「インディペンデント」な感じは薄れ、どんどん大手資本等が入ってきている。(大手資本が入ること自体は、私はまだ否定していないのだけど)今年来年あたりで、世界的に大きく「クラウド・ファンディング」の意味は変わっていくのかもしれない。(Kickstarter はまさにそういう自分たちのポリシー、創りだした文化を守りきれるかどうか、どう守っていくの瀬戸際にいるのだと思う)
でも私は、クラウド・ファンディングには「スピリット」があって、それがなければ組織だろうが個人だろうが関係なく、最終的には扱うことができない、ということを、今のところは信じていたい。
これから後のエントリは、現実的な「数字やデータ」、実利に役立つかもしれない「調達するためのヒントとなるんじゃないかなってこと」、好奇心をそそられる「さまざまな分野で起こっているクラウド・ファンディングによる面白い事象」を書いていこうと思っているけれど、でも私が根っこで思っていることはこうなのだと、今回このタイミングで書いておきたかったのだと思う。
このエントリは、実は大変難産でこんなの読んで誰か面白いかな?と何度も書くのをやめたのだけど、それでも書いておくことができて、よかったなって思ってます。
改めて、お時間をいただいた和多利さん、ありがとうございました。
あと、ちょっとでも JR に興味も持った方、「本当にそんなんかいな」と思われた方、あとインサイドアウト・プロジェクトが面白いと思った方、ぜひぜひワタリウム美術館の JR 展に足を運んでみて下さいね。6 月 30 日までです。
次回は、前回に予告した「Kickstarter の現状パート 2」にしようか、このままちょっと話をそらして、「美術館とクラウド・ファンディング」について書こうか、、ちょっと迷い中。ワタリウム美術館の話も出たので後者でいこうかなーー。
※1:↓ワタリウム美術館の活動報告にも、こんなエピソードが書かれている。
……玄関から一階のキッチンまでがあまりのかっこ良くて『すごね』と言うと
『あ、このビル只で使っていいよって言われて使っているの』とサラッと応えた。
2011年のTEDコンファレンスでプライスを受賞しした際インサイドアウト計画を始めて発表してから、多くのサポーターによってプロジェクトが支えられ進められているが、このNYのビルはJRの志に賛同し、無料で使用していいといったらしい。
※2:Palmer, A. (5.23.2012). “KICKSTARTER, SMURF-TITS & SCIENTOLOGY OH MY (the KICKSTARTER Q&A part 2)“.※ポイントとなるところを要約
※3:Godin, S. (06.20.2012). “Why (some) Kickstarter campaigns fail“. THE DOMINO PROJECT.
※私の意訳
※4:もちろん。大急ぎでひとつ付け加えると、
「社会に広く認められること」「大勢の人に応援されること」を望んではアーティストはできない、と私は思っている。万人に理解されなくても作品を作るのがアーティストであり、そこがどうしても「より多くの支援者」を求めることに価値が置かれがちなクラウド・ファンディングとアートの限界だとも思っている。だから、JR はむしろ例外とも言えるかもしれない。(そこが「新しいタイプのアーティスト」ということなのかもしれないけど)
実際、和多利さんは「JR だから今回のクラウド・ファンディング・プロジェクトができた」「今後またクラウド・ファンディングをする予定は今のところない」と言っている。(これは、森美術館が昨年の会田誠展の際実施した “勧進プロジェクト” に関して、関係された方が「会田誠だからできた」と言っていたことと同様の感覚だと思う)
ただ一方で、「多くの人に好かれようと自身を周囲に合わせていく」というのと、「自身がやっていることを、結果ファンを集める」というのは全然違うことだなとも思っており、そのあたりはまだ助成金等とも違うアーティストとクラウド・ファンディングの活用方法はあるだろうと思っている。