今回は、”arts marketing”としての「芸術鑑賞教育」について、思ったことを書きとめておきます。
芸術のマーケティングにおいて、一番重要なのは「親」だなーという話。
長いです。
※ ※ ※
芸術をマーケティングしていくにあたり、大きくわけて内的問題の解決と外的問題の解決、2つの方向性がある。
「内的問題」とは、そもそもどうやって芸術というのに興味をもってもらおうか、というもの。
「外的問題」は、興味はあるけどアクセスができない諸問題(場所、料金、時間)。
どちらが欠けてもマーケティングは上手くいかないんだけど、個人的には「内的問題」に、より興味がわく。
一般的に、芸術は敷居が高い。偏見もある。知らない、というのもある。
そこが解決されないと、どれだけ外的要因が揃っても、広がらない部分があると思う。
んでは、
どうやって芸術に興味をもってもらうか?
その手法のひとつとして、鑑賞教育というのがある。
(マーケティングじゃなくて、もうエデュケーションの分野だけど)
■実施されている、さまざまな鑑賞教育
鑑賞教育、とは、
「観客がアーティストの意図、作品の意味を理解するためのヒントを与えること。
教育という言葉を使ってはいても、トップダウン式に知識を教え込むのではなく、観客の一人一人が、ヒントを元に作品について考えられるようにすることが肝心である。」
(「進化するアート・マネージメント
」林容子 より)
ワークショップ、アートオリエンテーリング、
ギャラリートーク、レクチャー、シンポジウム
いろいろな種類のものがあるが、
美術館や劇場で行われるものに関しては、
やっぱり、そもそもそれに興味がある人しかしかないんじゃね?というわけで、
「アウトリーチ」といって、芸術団体や芸術家みずからが公共施設などに出向いて、さまざまな活動を行う、なんてのもある。
アウトリーチはアメリカですごく盛んで、
名だたる芸術団体、劇場からNPO、大学までさまざまな試みが行われております。
※1 最後の注釈にアメリカの事例をあげておきました
ちなみに、
ゲイジュツカンショウキョウイク、なんていうと、お固いところが実施するお固いもの、に思えるけど、
ブロードウェイやウエストエンドのミュージカルでも、ウェブサイトに子供たちをつれてやってくる学校の先生や親のため、そして子供たち本人のためのスタディガイドが準備されていることが多い。
このスタディガイドは30~50ページぐらいあって、
ミュージカルの背景となった社会的問題や人の心理についての説明や、シナリオや舞台写真を記載して、
「なぜここで彼はこういったか考えてみよう」なんていうシーンの理解を深めていくためのポイントがかなり詳しく書かれていて、別に生徒じゃなくても、十分面白い。
(たとえば、「HairSpray」では公民権運動の歴史の記述、「RENT」ではロックというジャンルに関して、「Mary Poppins」では原作へのアプローチ、などなど)
こういうのを観ると、ブロードウェイやウエストエンドではミュージカルというものが、
ただ「たのしー♪」だけのものではない、
人の心を成長させていくだけのパッションをもって作られたものである、という土壌があるなあと思う。
いつか、このことはいくつかの舞台のスタディガイドをちゃんと読んで、書きたいと思ってマス。
おっと、脱線。
で、鑑賞教育の話。
日本でも、古くは日本フィルの夏休みコンサートから、日本オーケストラ連盟のワークショップ普及事業、
文化庁の「本物の舞台芸術体験事業」、以前も書いた三枝成彰氏の「はじめてのクラシック」、
サントリーホールでの子供定期演奏会、カーネギーホールとの教育プログラム提携、
・・・などなど、
ノウハウ・リソースの不足、助成の問題も含め、さまざまな課題がありつつも、いろいろな教育&アウトリーチ活動があるなあと思う。
んで、今までずらずら並べた教育活動、圧倒的に子供~10代対象のものが多い。
(もちろん大人向けギャラリートークやセミナーもあるけど、あれは美術愛好者or愛好者になりたい人向けなので、ちょっと新たな鑑賞者を開発することとは性質が違ってくるかなーと思う)
やっぱり「将来の芸術を支える人たち」であるわけだし、
子供の頃に感じた「衝撃」にまさるものはない。
私自身も、芸術のマーケティングのことを考えると、
最後にいきつくのは、
「かつての私がそうだったように、小さい頃や10代の頃にびっくりするような豊かな文化経験(←こういうと固いけど)を、いっぱいの子供にしてほしいと思う」
という想いだ。
だから、マーケティングではなくエデュケーションの分野にも、
けっこう興味がありんす。
■学校で観た「芸術鑑賞の時間」の思い出って・・・
でもね・・・
こういった子供向けの活動、
そのひとつひとつの試みを必要であり、素晴らしいものだし、一人でも多くの子供の胸に響くといいなと思いながら、
いつも心にひっかかることがある。
なにかというと。
こういった活動は、学校と連携して、
学校の活動のひとつとして行われるタイプのものが多い。
・・・でもさー
自分の子供時代、学生時代のことを思い出してみよう。
学校で聴いたオーケストラ。
学校で観に行ったお芝居。
なんか・・・なんか・・・
どれも・・・
つ、つ、つまらなくなかっただろうか?
(ひゃー、携わられている方、ごめんなさい><。)
いや、
つまらなくなかった人もいるだろうし、
実際、私自身は楽しかったものもあったような気がする。
でもそれは、当時すでに私が「そういうもの」が好きだったからだ。
でもね、私個人の記憶にすぎないんだけど、
だいたいの子供は、
「授業がなくてラッキー♪」←苦笑
ぐらいの、
そういう認識であって、
「楽しかった」ぐらいあったとしても、(実際、実施後のアンケートの結果では「楽しかった」という回答は多い)
「人生が変わるほど楽しかった」「しばらくそのことがずっと頭に回り続けるほど衝撃を受けた」
ということは、
なかなかないんじゃないかなーーーとも、
思うんですよね。
(これに関しては、ほんと私の憶測で書いてるけど。まあ、僭越ながらそうだと仮定して、話を進めます)
なんでだろう、と考えるに、
カリキュラムのさらなる発展の必要性や、
教育者ではないアーティストと現場の教職の方とのすり合わせがちゃんとされていないまま行われた、とか
(アウトリーチ活動についての研究の中であった、教育現場に取り入れた先生方からとったデータでもそのような要因が出ている)
いろいろあるけど、
大きいのは、カリキュラムや演奏者の問題ではなく、
子どもたちの心の中に「学校でおしきせられたもの」という前提があるから、ということが大きいと思う。
そもそもそうやって、子どもたちはみてしまう、というか。
そう思うにつけ、私が、
幼少期に芸術、文化と衝撃的な出会いをするきっかけとして、やっぱり重要だなー、と思うのは
「親」の存在である。
■本は尊敬する人の影響を受ける。映画は一緒にみる人に左右される。
個人の芸術体験、芸術素養における「親」の存在の大きさ。
それに関しては、今までいろんな形でいわれてきている。
家庭がもつ無意識的な文化的な素養や財の集合体である「文化資本」を提唱し、
「個人の趣味」と「階級」の関係性を説いたフランスの社会学者ピエール・ブリュドゥーは、彼の著作『ディスタンクシオン』で、
「文化資本」が豊かな人たちは、
意識的に行われる”文化への学習”とともに、家庭における無意識的な体験が礎となっていることを明らかにしている。
それに対応するように、
91年のサントリー不易流行研究所が実施した劇場と観客の調査研究でも、
「演劇鑑賞の楽しみ」を自分の趣味として取り入れている人がどうやって、その楽しみと出会ったかというと、
ダントツで、「子供の頃、親に連れられて」だった。
(その次が、学生時代の友人の影響。学校、はないんだよー!)
逆に、小中学生で、「劇場へ行かない」理由を問うた調査(「国民の文化に関する意識調査」三和総合研究所)では、
これはもっともだけど、「保護者が行ってくれない」というのが理由の上位にあげられている。
(他、「会場が近くにない」「チケットが高い」など)
そして、
これは「子ども」に限らないけど、
消費者が意思決定をする場合、誰の意見が選ばれるか、という研究において、
(「芸術」よりマスなイメージになるけど)「CD・映画」はダントツで
「関係他者=調和的な関係を維持する相手=家族や共同体メンバー」の意見が行動に大きい影響を与える、という結果が出ている。
(「ネットが変える消費者行動
」宮田加久子・池田謙一編著より)
※これは、かたや「書籍や雑誌」が「基準他者=消費者が基準としたい相手として認識している人(たとえば、ある人物が「いい」といったものが売れる、といった際の「ある人物」)」の意見が尊重されるという結果と比べると、
同じ「文化」の中におさまるものであるにも関わらず、違いが顕著。
芸術鑑賞行為は、「外へ出る」行為で鑑賞後のご飯等も含めて「鑑賞行為」になるので、やっぱり「映画」に近いものと考える。
以下、同署から引用
書籍・雑誌については、好みが合うという類似性よりも適切な知識・情報が必要なカテゴリーとして「基準他者」が選ばれるのであろう。逆に、CD・映画で「関係他者」が多いのは、趣味がかかわる商品であるために類似性の高い相手である関係他者が選ばれやすいと考えられる。
■心から楽しむ親がいてはじめて、子は芸術に心を開く?
ながながと引用したけど、
私個人の体験を思ってみても、
やっぱり、「親」って、おそらく「芸術を愛する人を増やす」ために一番重要なキーなのではないかな、と思っている。
さらに思うのは、「連れて行く」ことが、なんというか・・・「親の見栄」とか「こういうことに触れさせとけばいいだろう」的な発想だと、やっぱりそれは「学校でのおしきせ感」に近くなっちゃうのかなあ・・・という気がする。
「ぜひわが子に観てほしい」でも「お母さん(お父さん)が大好きなものだから観たい」でも
なんでもいいんだけど、親側のポジティブな気持ちがあると、
子供にとってはそれは、「芸術鑑賞」ではなく、「親との思い出のひとつ」になるんじゃないかなーと。
その土壌があってはじめて、子供は素直に目の前のものに心を開くんじゃないかなーと。
そうして、心を開いて衝撃を受けた子供は、大きくなって親になった時、子供に同じ想いをさせてあげようと考える、と、思う。
それこそが、長い時間をかけての、マーケットの拡張、鑑賞者開発なんじゃないか、そんなふうに思うわけです。
※ちなみに我が家は、子供のうちから芸術鑑賞を!なんて家じゃなかったけど、
母親が洋楽好きで家で音楽がなっていたこと(だから、「ライブエイド」のTV中継も、私が観たいって言ったというより、自然とかけてくれていた)、自分が観た映画を「すっごくおもしろかったよー!」と見せてくれたこと、
なんてところが大きい。
そして、実際連れて行ってもらった、というのはないけど、そもそも母親が宝塚が好きだったり、絵を描いていたり、という下地が、数ある楽しみの中からミュージカルにつれていってもらえた理由としてあると思う。
まーあとは、祖父母の意向でピアノを習ったり、歌舞伎につれて行ってもらったり、というのもあるわねー。
もちろん、
学校での課外活動的なことが意味がないわけではまったくなくて、
市内の公立中学校1年生全員を対象として横須賀芸術劇場でオペラ鑑賞教室を行った横須賀市の例なんかは(市長の「親が関心をもたないとその子供は会場につれてきてもらう機会がもてない」という意見が反映されたそうな)、
市全部の中学生が、一度はオペラ鑑賞経験がある状況、というのを作ったことが素晴らしいとも思う。
(だって、大人になってから、なかなかオペラ見に行けないよー!高いし!!)
でもね、そういった活動のもうひとつの軸として、
「親への啓蒙」というのは、もっと根本的で非常に重要だなあと思うわけです。
もっといえば、「親になったから」ではなく、
来るべき「親」候補である子供のいない20代、30代の社会人のうちから。。。。
なんだけど。
(ここまでいくと、にわとりたまご話になるので、あまり深く考えない。笑)
「啓蒙」というとなんか上から目線だけど(笑)、そうじゃなくて、改めて「芸術を体験するっていいな!」って私たち親世代自身が思う、そういう経験かなあ。
興味あるけど、よくわかんない、って人もいるだろうし。
そういや、最近ADKが「自分の子どもについて育てる必要があると考える生活力」調査というのを行っていて、
その中で、
「芸術的なセンス」というのは、すべての生活力の中で一番必要がないものって思われている。
そういう誤解もどんどん解いていくべきだと思う。
(ま、「芸術的なセンス」って言い方はね・・・たしかにそれより、基礎体力とかマナーとか、相手を思いやる心なんかを身につけてほしいわな。むしろ、芸術を鑑賞することで身につくことは「芸術的なセンス」ではなく、もっと土台の力であることを言うべきか)
実際、子供向けに比べると圧倒的に数は少ないけど、親に向けてのプログラムも国内外にあるわけで、
そういったものもちょっと調べてみたいなあと思っています。
※ ※ ※
いやいや長くなったけど、
芸術のマーケティング、芸術のマネジメント、そして、そもそも社会において「芸術」というものが果たしている役割とその歴史、というのは、本当にいろんな側面があって奥が深くて、面白い。
現在おこもり期間ですので、
日々の学びの中で感じたことを、これからもブログに書いていきたいと思います。
今日いろいろあげた例や引用も、それがいちいち面白いのでまたちゃんと書けたらいいのうー。
※1ヶ月半ブログ更新しないでいたら、ランキングが大変なことに。T-T
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