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2008年度”世界の展覧会観客動員数”

いろいろと書きたいネタはあるのですが、ひとまず速報?として・・・
ぱぱっと読んだインプレッションで書くので、読みが甘くて、乱暴に書いているところがありますが、ひとまずはご容赦を。

以前、このブログでも紹介した THE ART NEWSPAPER による、「世界展覧会観客動員数」
の2008年度版が発表されるようです。

■THE ART NEWSPAPER 該当記事
Japanese treasures draw astounding crowds in Nara and Tokyo

■2005~2007年までのデータを紹介したエントリ
世界一展覧会に行く国民、日本人!?~日本独自の鑑賞スタイル<その1>
※今、2番目のリンクがブラウザによってはばけたりしてるみたいです。お手数ですが、
http://artsmarketing.jp/archives/777
をコピペしてみていただければと思います。。

記事タイトルをみても予測がつくように、
今年も観客動員数(日平均)トップは、日本で開催された展覧会だったようです。

ざっと読んだ感じ、2008年のトップ3はこんな感じ。

●No.1 「第60回 正倉院展」奈良国立博物館(Nara)
 17,926人/日(会期:10/25~11/10)※新記録
●No.2 「国宝 薬師寺展」東京国立博物館(Tokyo) 
 12,762人/日(会期:3/25~6/8)
●No.3 「Dans la nuit, des images」Gland Palais(Paris) 
 10,357人/日(会期:12/18~12/31)
※記事中に第三位のグランパレスでの展覧会名は明記されていないんですが、「…staged to mark the end of France’s presidency of the European Union.」との説明から、おそらくコレだと思います。

heiraden

平螺鈿背八角鏡 第60回正倉院展出展宝物より

トップ10中、5つが日本開催の展覧会のようで。
記事の最初に「THE ART NEWSPAPERの読者の方なら、驚かないでしょうね。。。」と書かれているように、
ここ数年ずーっと、このランキングにおいては日本の独壇場です。
そもそものハコの収容人数や日程の長短等の違いもあり、そう簡単に比較できる話ではないと思いますが、(なぜ日本の展覧会はこんなに人数を集めるのか?について書き散らしたエントリはこちら
以前のエントリにも書いたとおり、少なくとも数字上は「よく展覧会に足を運ぶ民族」であることは、間違いないようです。

しかし、なぜ、「少なくとも数字上は」なんてつい書いてしまうほど、
「日本人って展覧会好きだよねー」と、素直に思えないんでしょうか?最初に紹介したエントリの後半で述べているとおり、実際、主要都市の中で一番美術展にいかないというデータもあります
正倉院展や薬師寺展が人気を誇っているにも関わらず、なんでこう・・・「歴史」「古来の文化・芸術」と自分たちが結びついている実感がわかないんだろう???
最近、坂本龍一もこんなことを語っています。

―(略)・・・(ヨーロッパ出身のアーティストは)ヨーロッパ文化を全部持っていると言う?

坂本 
そうですね。「体の中に入っている」という。そういうあり方というのはうらやましいとともに、それだけ過去がとても生き生きと目の目の前にあると、例えば音楽でも100年前、200年前の音楽が、すごい素晴らしい形で残っていることになる。それを超えるというのはものすごく大変。

 日本のようにあまり過去が引き継がれないで、10年くらいするとどんどん忘れられていくような社会だと、簡単と言えば簡単かもしれない。その代わり、いつも同じようなところに留まっているのかもしれない。時間的に積み重なって進化しているような感覚は持たないかもしれませんね。

ミスチルを目指して終わるな──坂本龍一かく語りき」―ASCII.jp

先月パリに行ったせいもあって、
この言葉に関しては、ちょっと別に思うことがあるのですが、それはおいておいて、
まあ、私の実感としては教授の「過去が引き継がれないで」という言葉がしっくりくる。
なのにデータを観る限りでは、すごく(自国の)文化、芸術大好きな感じの国民でもある気がしてしまう。
単なる、年代の違い?
右へ倣えの精神が引き起こしている?
引き継がれてないからこその興味(笑)?
正倉院展ツアーやってる旅行会社の努力の賜物(笑)?
なんだろう???????

実は、このあたりのことって、最近心にひっかかっているすっごく大きいテーマと関わりがあるので、
それはおいおい、別エントリでゆっくり考えをまとめて書きたいと思っています。

・・・あ、話がそれちゃいましたけど、
ええっと、この記事には他にも「ブロックバスター=大作」美術展が多くなっていることなんかへの危惧も書かれていますね。

これに関しては、昔からさんざん議論されていて、
「本音」と「建前」、「使命」と「明日のゴハン代」の間での葛藤として、絶えず芸術業界はつきつけられる問題ではあるのでしょう。

でも、今回のデータを観ると、トップ3の集客数が、明らかに倍増ぐらいしているのがちょっと異様
(だいたい、日平均集客数が10,000名を超えることなんて滅多になくて、2007年の第1位であるダ・ヴィンチ展@東京国立博物館が超えて記事のキャッチにもなったのに、今年は3位まで全部10,000名超えしてますよ)
より「安定して、”食える展覧会”」になりがちで一極集中化しているってことなのかなー?
もしそうだとしたら、展覧会の企画なんて何年か前からやるんだろうから、昨年後半からの経済を考えると、今後はもっとそうなっていくのかなーーーなんてことも思ってしまいますね。

とまあ、これ以外にもまあいろいろと、つっこんで考えてみたくなるところだらけのランキングですが、今日はここまで。ふう
詳細ランキングが出たら、また書いてみよっかな。

2008年度”世界の展覧会観客動員数”http://artsmarketing.jp/wp-includes/images/crystal/default.png*arts marketing.jp
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まさに今、アート界のルールは変わる~「現在のアート界のルール」その2

前回の続き、現代アートワールドのルールの話の補足です。

現代アートが難解かつ高額な理由~「現在のアート界のルール」その1

なお、前回の「だ、である」調が自分に合ってなかったので、いつもの調子に戻します(笑)。

■前回のおさらい

さて、前回は、「意味がわからないものが作られ、それに価値がつく」現代アートへの「?」に関して、
アート・インダストリー』という本の内容を紹介しながら、21世紀以降の現代アート界には、それまでは存在しなかったような世界標準のルールが存在している、という話を書きました。

引用しつつ、さらっとおさらい。

アートワールドとは、1970年代ごろまでは、アーティストが中心にいて、アーティストをサポートするコミュニティーとして存在していた。(中略)
80年代になり、冷戦構造の解体と、メディアのグローバル化に伴うコミュニケーションシステムの根源的な変容に伴い、アートワールドはファッションやエンターテイメントといった産業と急速に結びつき、消費カルチャーのメカニズムに組み込まれていく。(中略)美術理論による価値の保障はメディアがその役割を引き継ぎ、アートそのものは、パーティーやディナーやディスコという熱に浮かれた狂乱騒ぎとは無関係であるにも関わらず、アートワールドの期待は、理論よりマネーへとシフトしはじめる。あるいは、理論を捨ててもアートマーケットが成立するシステムというものがすでに完成していたと言ったほうがいい。
21世紀になり、情報技術の発達、金融のグローバル化、富の拡大は、新しい社会構造を生み出し、アートはステイタスを計るもっとも渇望される条件のひとつとなった。今日の富裕層は、資産の額だけではなく、アート・バーゼルで提供されるVIPサービスのランクや、どれだけエクスクルーシブなディナーやパーティーに招待されるかということによって判定される。彼らインターナショナルエリートにとって、アートワールドとは、その富をグラマラスに表現できる格好の舞台である。加えて投資の可能性があることが条件だ。(p.40-41)

そして、こうなった時代のアートサーキット共通のルールがこれなんですね。

(1)価値は価格で表せる。
(2)価格を付けるメカニズムはインフラである。
(3)インフラを動かす元となるのは(英語で書かれた)言語である。

さあ、今やこんな状況になっているというアート業界なんですが、
そこでこの本の著者である辛氏は、何度もこう主張しています。

しかし、(先進国の中では唯一)日本はそのルールに完全に乗り遅れており、日本のアート業界は機能不全になっている

■中国の台頭とそれに伴うアジアンアートへの注目。そこへ乗り遅れた日本

さて・・・
これはどういうことか、ということで、中国の台頭を筆頭としたアジアンマーケットの話を書こうと思ったんです。

が。

なんというかですね、昨年末から一気に世界経済の状況は変わっていて、アート=マーケットとなっている今、もちろんアート業界もすっごく変化の時期(の真っ只中すぎて、今は閉館・縮小等の動き以外、動きがなさすぎますが)にあるので、
もう、書こうと思ってたこと全部古い話なんですよね(笑)。
なんで、まあ細かく去った時代の話を書くのもなんだな、、と思い・・・経過抜きで結論だけ、はしょって書きます

つまりはこういうことです。

欧米が主導の“アートの世界のルール”に乗じて、それーーっと台頭してきたのが中国。
数年前、中国アートはバブルを迎え、「聞いたことはおろか名前の発音もままならないアーティストの作品の値段がオークションごとに記録を塗り替えていく」ような状況になります。

中国ではアーティストは憧れの職業となり、政府は「○○年までに北京に1000館の美術館を作る」・・・などといった政策を打ち出し、一気にアート産業に力を入れ始めます。
そのおかげで、中国以外のアジアンアートも同時に注目を浴び、たとえば昨年はインドが流行りました。
このような国ほど派手ではないけど、韓国も、大企業が支援した美術館に海外の高等教育機関で養成したスタッフを配し、国際対応をしています。

そんな中、日本だけが「アートとお金の話を一緒にするな」とばかりに、国際ルールに乗ろうとせず、(これも、アート業界に限らず、例えばほりえもんが世間をにぎわしていた当時にさんざん議論された「会社は株主のもの」的な話と根本はかぶりますよね。どちらの考えがいい悪いは別にして、日本がいちいち対峙しなければならないテーマのひとつなのかもしれません。
かといって、現在の欧米ルールに対抗する独自ルールを作って、内需で産業が成り立つようなインフラを作ることもなく(「日本がバブル期におかした最大の失敗は、無謀なアートへの投資ではなく、アートマーケットのインフラを整備しなかったことにある。」(p.57))、辛氏曰く「アマチュアの世界」になっている、と、この本には書かれているわけです。
※あとで思い出したので追記。以前書いたこのエントリのような状況も(こちらはギャラリーではなく美術館の話なのですが)、
世界のサーキットに入っていないことを暗に示していますね。
上海とアート&幻の1位のトホホな理由。~日本独自の鑑賞スタイル<番外編>

アートという概念はアジアにはないので、アジアでアートをやっているということは、歴史、方法、言語、思想、すべてにおいて矛盾を含んでいるということをまずは認識する必要があると思います。その矛盾や差異、特殊性などを説明する方法は、言葉しかありません。(中略)もちろん、世界の共通言語である英語で、です。それができる批評家は日本にはほどんといません。日本では批評家はまったくマーケットに無知であるか敵意をもっているかのどちらかですが、批評家もマーケットを構成する一因であることを自覚する必要があるのではないでしょうか。(p.100-101)

■世界の混乱は日本にとってのチャンスとなるか

しかし、しかしです。
世の中はがらっと変わりました。

まあ、これは金融危機以前からの話ですが、台頭した中国アートは既にバブルが崩壊しています。まさに、アートのインフラ(批評やギャラリーのシステム)を整えることなく、ほとんど機械作業のように「売れるアート」を量産し、お金にこだわったツケがここにきて、きています。
もちろん、中国アートがすべてダメになるわけではないですが、
中身が問われる時代になったといえるでしょう。

そして、経済がそうであるように、今後欧米主導のルールが、根本から崩れる可能性も多いにあります。
実際、支援していた企業自体がつぶれたことで、閉じていった美術館・ギャラリーは多くあるでしょう。
サザビーズもクリスティーズも、昨年末は落札額が想定価格よりどれも大きく上回り、お金持ちへのバーゲン状態だったとか。もちろん、株価も下落し、苦境に立たされています。
(ちなみに、ちょうどリーマンブラザーズが破綻した日、イギリスのアーティスト、ダミアン・ハーストの個人オークションがサザビーズで行われ、個人の落札総額としては史上最高となる211億円を売り上げました。これ、数週間ずれていたらアウトだったでしょうね。なんだか、歴史の切り替えを思わせる、象徴的な出来事です)

今こそ、日本のチャンス、なのかもしれないなーと思います。

もちろん、「国際ルールに乗ろうとせず、かといって、現在の欧米ルールに対抗する独自ルールを作って、内需で産業が成り立つようなインフラを作ることもなく」、世界のアートサーキットから取り残された時のような姿勢のままでは、「次のルール」に乗ることもなく、いわんや国内のインフラを整え「次のルール」を作り出すこともなく、また取り残されることになるでしょう。
(怖いな、と思うのは、たとえば誰が悪い、とか、アート業界の体質が悪い、とかいうのではもはやなく、日本全体の体質とも思えるところです。どの業界にも、わりと当てはまる話、あるでしょ)

でも、既にそういう観点から動いていってるアーティストやギャラリスト、アートマネージャーの方もいっぱいいるはずで。
ちょうど「Numero Tokyo」の今出ている号(2009年2月号)で、村上隆氏も、
「今、完璧な再編の時期に入りましたから。若手のアーティスト、ギャラリスト、新しいパラダイム、押し出せますよ!」とインタビューに答えて言っていましたね。
そういうことを考えている方も多いと思います。
それが、アート界の中にどのような流れとして表出してくるのか。

前回も書いたけど、ものすごく大変な時期ではあるけど、ちょうど時代の境目の面白いところでもあるなーと心の底から思います。
どこの業界でも同じだと思うけど、こと、アートの世界は、非営利、とか公共財、とかいう概念もあったりして特殊だしね。
そういった視線で、今後も(メインの興味である舞台芸術のマーケティングとは別に)アート業界をウォッチしていきたいと思います。

■グローバリズムと文化の多様性の両立を考えるシンポジウムと本

ちなみに、
そのキーになりそうなテーマとして注目しているのは、
「国境が文化を線引きすることができなくなった時代、“国の文化”とはどうなっていくのか」というところなんですが、
そういう私の関心にぴったりの本&シンポジウムが近々あるんですねー。

今日の文化を再考する―米国・フランス・日本の文化システムを巡って
日時:2009年2月4日(水)14時~18時
於:東京芸術劇場中ホール

このシンポジウム、
芸術監督出身で、80年代フランスの文化大臣であり、大規模な文化政策を実施したジャック・ラング氏が来ます!フゥ!

かつ、今週木曜に邦訳が発売される『超大国アメリカの文化力』の著書であるフランスのジャーナリストかつ社会学者のフレデリック・マルテル氏も登壇。(この本、超面白そう。アメリカに対し「自国の映画産業が廃れるからハリウッド映画の輸入を制限する!」と言ったのはフランスですが、そのフランスのジャーナリストが書いている、という点がgoodです)
日本からも平田オリザさんなどが出席。

問題提起はこんな感じ

「21世紀の芸術創造を支えるの主力は、文化政策か、フィランソロピーか?」
「グローバル化の進行に、文化の多様性はどう抗うか?-新しい地球市民意識を支える文化システムの可能性」
「デジタル化とIT技術の芸術文化への侵入は、エリート文化をどう変質するか?」
「国際文化都市・東京のプレゼンス確立に向けて―東京からの文化発信とフェスティバルの役割」

まあ、、、(はっっと我に返りつつ、)マニアックなシンポジウムですけど、個人的にはワクワクものです。
これが開催されるフェスティバル・トーキョーは舞台芸術の祭典なので、ビジュアルアートの話とはまたちょっと違うとは思いますが、
たぶん、
「今後のアート業界」の行方のヒントもありそうだなーと思っています。
平日お昼に出席できる現在の身分をいかして、このシンポジウムの感想などは、またこのブログに書きたいと思ってますです^^

超大国アメリカの文化力
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アート・インダストリー―究極のコモディティーを求めて (アーツアンドカルチャーライブラリー)
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現代アートが難解かつ高額な理由~「現在のアート界のルール」その1

専門は舞台芸術のつもりだけど・・・今日は現代アートの話。

■「意味がわからない現代アートに、ありえない金額がつく」背景

現代アート、というと、

まず、「意味がわからない」ということ、

そして、「なのになんでありえないほどの金額がつくのか」ということ、

ふたつの疑問が常につきまとっているように思う。

「意味がわからない」私は感性が乏しいのか。

そんなことを思って観ない人もいるけど、現代アートが「意味がわからない」のは感性の問題ではない。

意味がわからないものは、誰がみてもたぶん(感じ方の違いはあれ)意味がわからない。笑

でも、「意味がわからない」とスルーせずに、

意味がわからないものが作られ、それに価値がつく」背景がわかれば、現代アートはかなり面白い世界でもある。

というわけで、

その「意味がわからないものが作られ、それに価値がつく」背景を知る一助となる本を紹介しようと思います。(前エントリにあげた本じゃないけど・・・そっちの方はまたおいおい)

アート・インダストリー―究極のコモディティーを求めて (アーツアンドカルチャーライブラリー)アート・インダストリー―究極のコモディティーを求めて (アーツアンドカルチャーライブラリー)
著者:辛 美沙
販売元:美学出版
発売日:2008-12
おすすめ度:5.0
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この本の著者である辛美沙さんの話は以前聴きに行ったことがあるのだけど、

アートシーンの現状をずばずばと語るすごく面白い内容だった。

その主旨をかいつまんでいうと、

今はかつてないほど、お金とアートが結びついている時代であり、そのルールの元に世界のアートシーンは構成されている

しかし、(先進国の中では唯一)日本はそのルールに完全に乗り遅れており、日本のアート業界は機能不全になっている

ということ。

そしてこの本も、ほぼ言っている内容は同じ。

※気をつけて欲しいのは、「お金とアートが結びついていること」に関して辛美沙氏は「是」とも「非」ともしておらず、

ただ状況、美術界のルールは完全にそうなっているということ、

しかし、それを「アートは商業主義とは一線を画しているのだ」とばかりに、ルールを無視し、なおかつそれに代わるルールを作り上げることもしていない日本アート業界へは一言ある、というのが彼女のスタンス。

その主旨(特に一番めの)を理解することが、「意味がわからないものが作られ、それに価値がつく」背景を知ることになると思うので、まあ全部受け売りなんですけど、私が理解している範囲での説明をしていこうと思う。

■価格が価値になるという、美術史上かつてない時代

まず、「お金とアートが結びついている時代」という意味は何かというと。

それは、

「(美術品としての)価値が価格に反映される」のではなく、「美術品につけられた価格が価値になる」時代だということ

価格が価値になる・・・1億で売れたアートより10億で売れたアートの方が価値がある、そんなのおかしい、と脊髄反射するのは私だけではないと思う。

実際、脊髄で反射しなくても、なんかそれはおかしい、おかしい、と思い発言するアート業界の方々もいっぱいいる。でも、それが現状である、と辛氏は語っている。

前回のヴェネチア・ビエンナーレのディレクターであるロバート・ストーが「Money talks(金がものをいう)というけれど、金はアートの美的歴史的な重要性を語りはしない」と昨今のクレイジーなアートマーケットを批判。しかし、そんな彼の思いとは裏腹に、人々の話題は、アートそのもので始まり結局マーケットへ行き着かざるを得ない。上記を逸した昨今のアートブームが、いったいいつまで続くのか、誰も答えを見出せず、そして誰もが猛スピードで突進するジェットコースターから降りようとはしない。ディレクターのサム・ケラーはバイエラー財団のディレクターに転進した。彼がジェットコースターから降りたことが正しい選択であったのかどうか、誰も答えることができないでいる。(p.38)

でも、長らく経済圏とは無縁、もしくは隅の方にちんまりといたアートが、なぜ今、マーケットに支配されたか、

というと、それはもう、アレ、今や全ての現状の根源になっているのではないかとまで思わせる、20世紀末の「グローバル経済と情報技術の発達」。

各国通貨の壁も、距離の壁も乗り越えるられるようになり、

アートが値上がりの期待される投資商品の対象として見込まれたことと、

それに加え、古来よりアートというものが持っていた“目に見えないそれ以上の価値”・・・富や洗練、上流階級の証といったイメージが、従来のそして新興の富裕層にとって非常に魅力的なものにうつり、一気に経済圏のメインストリームに引っ張り出されたのだ。

そして、投資商品(やブランディング)としての価値を見出すのであれば、

購入するのは、評価が定まり、すでに高評価のものには高額の値がついているアートではなく、まだ評価が定まっていないが値上がり価値が期待される現代アートになる。

これが、日本の企業がゴッホの「ひまわり」を当時の最高値で落札したバブルの時代と現在で、「お金持ちが絵画を買う」行為の本質の違いを表しているのかな。

(ちなみに、2006年に約150億で落札されたジャクソン・ポロックの『No.5,1948』(1948)が現時点での一番高いアートであり、この時についに、現代アートが現代以前のアートを超え、世界最高値のアートとなった

No.5,1948

■金、インフラ、言語化というルール

では、金融マーケットに支配されている現在のアートシーン、「その時代のルール」とはなにか。

私なりに、ルールをまとめて言ってみると。(私なり、なので若干違うかもですが)

(1)価値は価格で表せる。

(2)価格を付けるメカニズムはインフラである。

(3)インフラを動かす元となるのは(英語で書かれた)言語である。

まず、前段で述べた「価格が価値になる」という価値観が前提。

じゃあ、その「価格」どうやって決められるのかというと。

もちろん原材料や労働力でもなく、アーティストの志でも技術のあるなしでもなく・・・、それは「インフラの動き」。

「インフラ」とは、「アートワールドを構成する人たち」、つまり、ギャラリー、コレクター、美術館、批評家、メディアetc.のこと。

「アートワールドを構成する人たち」=「インフラ」が、その作品に対してどう動くのか、

誰が所有していたのか、

誰が評価したのか、

どういう展覧会に出たのか、

どういうメディアが取り上げたのか。

それが、作品の価格を決定していくのだ。

(実際、オークションカタログの情報は「provenance(出どころ)」「exhibited(展覧会歴)」「literature(出版物)」で構成されている)

アーティストを売り出していくギャラリストは、彼とその作品の価値(価格)をあげていくために、これらインフラが最大限に有効に動くよう働きかけていくのだ。

そしてアーティスト自身も、よいギャラリストと組むため、もしくはその他のインフラにアプローチし自作の価値を高めていく。

では、そのインフラがどうやって動くのか。

それは「言葉」なのだ。

■言葉で説明しなければ、”アート・インダストリー”で存在することはできない

「言葉」なのだ。

なんて書いたけど、

まあ価格を決めるインフラは「人」である。

だから、言葉が必要なんだよね。

この作品が、どういう思考の元に生まれたのか。

それは、どれだけ美術史の文脈の中で重要なのか。

それをプレゼンできないと、”インフラ”を動かすことはできない。

それどころか、そのルールの中で存在することすらたぶんできない。

どのページに書かれていたか失念しちゃったんだけど、この本の中でも「アートがイメージだとすれば、アート・インダストリーは言語」といったような文章があった。

そして、それも含め何回か、辛氏は「言語」「言語化」の重要性を語っている。

しかも、アートシーンの共通言語である、英語で。

この言葉に置き換えるという作業は、現代アートが世に出るためには必ず必要となるプロセスです。いわゆる「現代アート」はほぼコンセプチュアルアートです。つまり「コンセプト」というものが作品の根幹をなします。アートマーケットの観点からは、作品の値段はほとんどの場合キャンバスと絵の具代や労働時間などではなく「コンセプト」の値段なのです。それは言語に置き換えられるべきもので、欧米のアート界では必須です。(中略)

現代アートは、なんとなくかわいいとか、色がきれいなどいった感覚や感性、嗜好のレベルではなく、美術史上の文脈とつながるものであるか、そしてアートマーケットで耐えられるクオリティかどうかで評価されるものだからです。自分で作品が成立するための文脈を構築していく、といったらいいでしょうか。(p.182)

たとえば村上隆は、自著の中で、この「言語化」に非常に気を使っていて、

有能な翻訳家を何人もつけて言葉を作り上げていく、というようなことが書いてあった。

(逆に、日本人のアーティストの中にはこの翻訳の作業を軽視している人も多く、変な英語でも平気で出す、、みたいなことも書いてあった)

ちなみに。

村上隆は、今まで書いたこのルールを隅から隅まで研究し、その文脈の中で、日本人の自分がどういうポジションで存在することができるかを考え抜いて、あのフィギュアやアニメのような絵を発表していったアーティストだ。

だから、彼の作品を見て「なんじゃこりゃ」はある意味正しい。

「(西欧)美術史の文脈」(と「富裕層の求めるもの」をクロスしたもの)の中で出てくるコンセプト、そのコンセプトが「美術史に残るようなもの=未来に向け価値があがるもの」に価格という価値がついていくのだから。

・・・以上、

このようなルールで動いているのが、現在の「アート界」である、ということがこの本では淡々としかしわかりやすく書かれている。

意味がわからないものが作られ、それに価値がつく」背景には、このような歴然とした、なんか「現在の世界経済が引き起こす現状」をぎゅっと凝縮したような世界が広がっているのですなー。

それでますます嫌になっちゃう人もいると思うけど、私はそのカオスっぷりが面白いなあ、と思う。

もはやマネーゲーム、知的ゲームになってしまっているけど、

その根底には、アートというものが内包する「魅惑的な何か」があるわけで、

まさにこの状態が「是」か「非」かという話ではなく、

お金と権威という人の欲望と結びついた興味深い分野だなあ、と思うわけです。

さて。

あいかわらず長々と書いてしまいましたが、

しかし、(先進国の中では唯一)日本はそのルールに完全に乗り遅れており、日本のアート業界は機能不全になっている

という部分に全然触れられていないし、アジアの話もしたいし、

なにより今現在の話として、上記の話の基盤となっていた「金融」は大打撃を受け、根っこから変わって行く時期でもあるわけで。

ちょっとそのへんのところ、付け足すエントリをもうひとつ書きたいと思っています。

現代アートが難解かつ高額な理由~「現在のアート界のルール」その1http://artsmarketing.jp/wp-includes/images/crystal/default.png*arts marketing.jp
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[覚書]美術館の責任。覚悟。

うきうきラスベガスの続きを書きたいし、
この記事について、書こうかどうしようか1日悩みましたが、やっぱりかいときます。

昨日、久し振りにミクシィのコミュなぞをのんびりながめていたところ、
1週間前にこんなことがあったことを知りました。

■広島上空「ピカッ」の文字 芸術家「平和訴え」描く

■「ピカッ」で現代美術館陳謝

その後ミクシィニュースにもなったようなので、
読んだ方もいるかもしれません。
(しかし、ミクシィニュースの方の内容は、美術館の対応について若干食い違いがあるそうだが)

上記以外にも中国新聞ではいくつかニュースがあがっており、
また、アートマネジメントコミュの管理人の方が、直接現場に電話をして事実関係を確認していたりするので、詳しく知りたい方は、(ミクシィ内になりますが)このトピックスをご覧ください。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=36322416&comm_id=40241&page=all

ブログに書くのを悩んだ理由はいくつかあるけど、
この記事を読んだ瞬間、反射的に、生理的にすごくいやーーな気分がした、という理由が正直大きい。
ネガティブな感情の中でも、怒るというよりむしろ気持ち悪かった。

でも、いろいろ記事を読んだり、ブログやいろいろなコミュニティの意見を読んでいるうちに整理されてきたこともあったし、
まがりなりにも私も、舞台芸術分野を専門にしていこうと思っているとはいえ、アートマネジメントの世界を外ではなく内側でみてみよう、と決意したわけだから、
この時点での私の思ったことを残しておこうと思います。
(いろんな方が書かれているのと、ほぼ同じ内容になりそうだけど・・・)

まず、
この件に関しては、私はアーティスト側を、とりたててとやかく言うつもりはない。
なぜかというと、これ自体はビデオアートの素材として撮影されたものであり、完成形がわからない、
そして、結局展覧会もとりやめになったようなので、
これをやろうと、作ろうとした「アーティストの想い」がわからずじまいになっているから、
とやかく言いようがないから。

もちろん、いくら素材撮影とはいえ、
空という誰もがみるところで、誰もがみるように描くということは、
それ自体がパフォーマンスであって、「素材段階だから」ということでその内容がOKになるわけでない。
やはり、広島の方々への説明と彼らの理解を得ることが必要だったと思う。
そしてそこは、美術館側の大きな役目だったと思う。
私が(そして多くの人が)この件で、疑問に思うのは、美術館の方だ。
3つの「こりゃいかんでしょう」な点をあげると。

まず、アートと社会を結ぶという基本的なことをしていないこと。

このパフォーマンスはどう考えても、どう説明しても、
物議を醸すものであり、不快に思う人を生むものだと思う。
(さらにいえば、正直言って、私の本当の個人的な感想は、「作品になったとしても、どうしようもなく嫌なもの」だったに違いないと思っている)

でも、
アートには理解不能にみえるもの、マイナスの感情をわかせるもの、人を不愉快にさせるもの、
そういったものがあってあたりまえだし、
そういう気持ちの撹乱を起こすものこそがアートともいえ、
それに対し、どういう感情を持つかは別として、今の私たちの基準として不愉快だからやめろ、と規制することはできない。

そういうふうに、ともすれば人の心をかき乱す恐れがあるようなアートというものと、社会とをつなぎ、きちんとアーティストの意図とともにアートを社会に存在させるのがアートマネジメントの役割。
今回の場合、何もことわりもなしにやればいやな気分がする人が出るものを、
公衆の面前でやることに対し、何の対策もせず、結果やっぱり大騒ぎになって、
結果、アーティスト側が謝罪、作品の完成も展覧会の実施もとりやめになって、
彼らの意図と作品は世に出ずじまいになった。
(その作品が出てくれないことには、「これはないでしょう」ということだってできないのだ)

2点目としては、
ここはアーティストへの疑問にもなるんだけど、
この作品に関して、いったいどういう気持ちで、どういう覚悟でやっており、
そbれをどれだけ美術館側もわかって、同様に覚悟をしていたかがさっぱりわからない、ということ。

「アーティストとは今の価値観を揺さぶるものだから、私たちが理解できなかったり不愉快であったりするのは当然。でもそういったことにアートの価値があるのだから、それをNGにするのは検閲」
というものは、もっともな意見だし、私もそれに強く同意する。
(んでも、私は気持ち悪くなるようなグロいアートは苦手で観ないけどね)

でも、ひとの気持ちや世の中の価値観を揺さぶるものは、
それをしなければならないという想いと覚悟のうえでやらなければいけない、世に問わなければならない、と思う。
「その人が作らざるを得ないもの、言わずにはいられなかったもの」であれば、私はいい。
実際私が好きと思うか嫌いと思うか、なんとも思わないか等等は別として。
逆にそうでなければやるな、って思う。

人に理解されないかもしれないことをやるのであればなおさら、
批判や拒絶や、人を傷つける可能性すらある(そんなことしていい人はいない!)ことをやるだけの意味と覚悟が必要になる。
それが、今回はまったく感じられないの。
しかも、謝罪し、自粛したってことは、「自分達は考えなしにやっちゃいました」っていうのを認めているようなものじゃない?
準備不足で結局不快にさせたことを謝るのはもっともだと思うけど、
ではそこまでして何がしたかったのか、を、きちんと説明しないの?したくないの?と思う。
・・・そして、そのあたりも、美術館の役目は大きいと思うのよね。
結局、謝罪、自粛、特に説明もなし、という対応をしたことで、
アーティストの意図はわからずじまい、結局、私は彼らに対して相当マイナスイメージを抱いたわけで。

最後のポイントとしては、
どうやら美術館は自分たちの責任をうやむやにして、だんまりを決め込んでいるらしい。

報道も錯綜していて、真実は闇の中なんだけど、
「美術館はこの作品を展示することを拒否した(のに勝手にやった)」という美術館側の主張と、
「美術館側も了承の上」というアーティスト側の主張が真っ向対立しちゃっている。

しかも、この騒動が起こった当初は「こういう反応が起こることは織り込み済み」的な美術館側のコメントも新聞に載っていたそうだが、しばらくしてこのような主張に変わったらしい。

ま、報道も煽って事実をまげて書きがちだからなんとも言えないけど。

でも・・・
飛行機で文字をかいた時、
ちゃんと美術館側は立ち会いに来ていたのは事実だそうだ。
それって、
「拒否したのに勝手にやって」
とは、
まったく言えないと思うんだけど。笑。

んー、この美術館に対して沸き上がる不信感たるや。

2番目に書いた「作品とアーティストへの覚悟」以前の問題ですな(笑)

以上が、たたたっと書いた、現時点での私の感想なんですが。

総括すると、
アートマネージャー、こと現代アートという価値が定まっていないものをマネジメントしていく仕事は、
相当、人というもの、相手というものを理解し、精神的にタフじゃないとできないなーと改めて痛感した。

村上隆、奈良美智を発掘したことで有名なギャラリスト小山登美夫氏も、
「村上隆の作品は私の嗜好や美術感覚からは大きくかけ離れているけど、時代や社会に対し真剣に向かい合って作りだされたものだから一緒にタッグを組んでやってきた」というようなことを、著作で書かれていたのだけど。
村上隆の一連の作品はたしかにげっと思うものも、は?て思うものもあるけど、
彼が日本という出自を背負って世界のアートシーンで存在していくためのがむしゃらの努力と戦略がある。
そして、「彼の作品は自分の理解を超えている」と感じる小山氏もその部分に惹かれ、彼の意図と情熱を十分理解し、逆風の中をともに戦ったのだと思う。

芸術に関わる仕事をしている人たちの話の中で必ず、
「好きという気持ちをいつまで持てるか」というような話が出てくるけど、
ほんとそうだね。
好きじゃないとやってられんわ。
それでもやっていきたいと思うわけだから、一度ここに足を踏み入れてしまうことの恐ろしさよ。(笑)

さて。
お次は戻りまして、ラスベガスの写真満載エントリをしたいと思ってますん

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上海とアート&幻の1位のトホホな理由。~日本独自の鑑賞スタイル<番外編>

ほんとは追記程度でかこうと思ってたけど、はみ出てしまったので、
前回、前々回の話の余談を2つほど。

上海の話と、2007年度入場者ランキングの1位は違っていた!という話。

<前回エントリ>
メディアと美術館の長いながい蜜月~日本独自の鑑賞スタイル<その2>
世界一展覧会に行く国民、日本人!?~日本独自の鑑賞スタイル<その1>

■アートへの貪欲さを感じさせる上海

さてさて、
堂々めぐりになってしまいそうな話はひとまずおいといて。

前回とりあげたデータを調べていて、面白かったことをいくつか。

ひとつは、「国際都市アート意識調査」における上海のデータ。
なんかね、結果をみると、抜きんでてアートに貪欲なの。

たとえば「日常生活においてアート(文化・芸術)に触れていると感じる時があるか」、
この設問では、他4ヶ国が20~30%が「はい」であるのに対し、上海は2倍の63.5%が「はい」と答えている。
平日に美術館に行かない・行けない理由」も、どの都市でもトップ理由の「仕事/学業が忙しく余裕がないから」に続き、上海の第2位の理由は「休日に落ち着いて鑑賞したいから」。
これも、他国の1.5~2倍ぐらいの割合を占めている。
え、中国のアートの中心地は北京じゃなかったっけ?と思うんだけど、上記をみてのとおり、中国のビジネスの中心地である上海の方々は、アートが(おそらく)これからの中国、世界で生きていくにあたり非常に有効なツールであり、ゆえに貪欲にアートを取り入れようとしているのが、なんとなく伝わってくる。

そうそう、前エントリで例にあげた「美術館に求めるもの」も、他の選択項目と比べ%こそ低いものの、
「ビジネスにおけるヒント」と答えた人が全体の17.9%で、他の国が3.5~12.6%内におさまっているのに比べ、ダントツに高い。

楊福東中国アートは近年バブルで、価格が高騰しすぎてしまっているというので、(そういや、今、国立新美術館でやっている展覧会は現代中国アートを扱った「アヴァンギャルド・チャイナ」だ。)そういった投機目的な目もあるのかもしれない。
なんにしても、中国のある一部の層の中では、ビジネス、お金、出世、世界、そんなものとアートがつながっているの。そんな熱をばんばんと感じさせるデータで、ちょっとびっくりした。

たしか、中国政府はこの何十年に何千もの美術館を国中に作る、とか言っていたはずで(ごめんなさい、詳細ソースはなし)、そんなことを考えても、今後、アート業界の中の中国って、そして中国のビジネスマンってどんなふうになっていくのかなあ、なんて思う。
(ちなみに、それこそハードや学芸面や批評がきちんとする前にバブルになってしまったため、かなり中国アートはいびつになってしまっていて、少し危ない状況でもあるらしい)

■2007年の入場者ランキングの幻の1位は・・・

余談をもうひとつ。

2007年の「展覧会来場者数ランキング」を調べていたら、
面白い記事を見つけてしまった。

Hiding in Japan are the world’s best attended exhibitions

「Japan Times」の記事。
これによると、
Art Newspaperのランキングは、本当の1位を見逃していたらしい。
本当の来場者数1位。それは、奈良国立博物館の「第59回正倉院展」。
「第59回」とあるとおり、毎年少しずつ展示品を変えながら行われている展覧会だそうな。
これは、1日平均「14,611人」ですって!フゥ!!
しかもこれは、Art Newspaperがランキングを始めて以来の最高値だそうだ。

え。
たしかに、ちょっと年中行事っぽい展覧会だけど。
なんでそれを・・・
見逃したの?

“I’ve never heard of The Art Newspaper,” said Yoshida. And, unfortunately, the ignorance was mutual.
“If we’d known about (the museum) we would have included them,” says Jane Morris, an editor at The Art Newspaper.

それは、
お互いがお互いを知らなかったから。

どーん

なんと、なんと、せつない、お粗末な理由・・・

さらにこの記事では、日本の美術館の多くが、言語の壁を超えて世界に発信していこうとしていないことと書かれている。

今さらだけど、
Art Newspaperとは美術業界で権威のある専門紙である。
同様に奈良国立博物館は、日本に4つしかない国立の博物館のひとつである。

その両者が、お互いがお互いを知らなかったというのは、
日本の特に国公立の博物館の課題が潜んでいるんだろうなあ、という気がしますた。

※あ、ちなみに、JapanTimesはけっこうポイントをついた文化の記事があって、
アートマネジメント系の英語の、そして専門科目の試験勉強として、大変役に立ちました。

フンフーン
3回にわたり、久し振りに長編(笑)を書いてしまった。
ひとまず、本データにまつわるお話はここで終了です。
次は、少しやわらかいネタをかこうかしらん♪

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