[思ったこと]マーケティング担当者に必要な、レスペクトの感情

企業の中でも、「制作」「開発」分野と「宣伝」「マーケティング」分野は対立しがちな分野だ。
ましてや、「アーティスト」「クリエイター」と「宣伝」やら「マーケ」やら「販売」をする人たちは、
水と油といってもいいかもしれない。
私も、昔から”制作”系の人から「マーケとか言ってるやつ嫌い」って言われたり、「プロモーション部署との軋轢」を聞かされたりすることがあった。
(逆に、とりあえず宣伝マンを持ち上げとけ、とばかり、いい顔する人もいたけど)

私は、売る方法を考える立場であることが圧倒的に多かったので、
こういう現状は、なんともさみしいことだなあと思う。

でもそれは、仕事をしてた頃のことを思い返すに、
宣伝するサイドの立ち位置が、やっぱりまずかった場合が多いなあ・・・と思う。
(ほんとは、制作だー宣伝だーってわけることもおかしいんだけど、
ま、それはおいといて、分かれている場合の話)
やはり、一番重要なのは相手へのレスペクトの気持ちだと思う。

「宣伝のやつらなんて!」と言っている人たちが舐めた辛酸はだいたいこんな感じだ

「A」というものを作ったのに、
勝手にみためのよい「A!!」や、きこえがよい「A♪」や、
今流行りの「B」に変換して世の中に出している!

つまり、必死になって生み出した「A」(と、生み出した本人)をないがしろにしてるでしょ、
という話。

「A」を「A」のまま、「A」を欲している人たちや「A」によってポジティブになる人たちに受け渡すこと、
その調整をすることがマーケティング・宣伝だと思うんだけど、
実際、そうもいかないことがあったりして、「制作」と「宣伝」には溝ができていき、
お互いがお互いを疎ましくおもいはじまえる・・・
そして、両方とも、お互いへのレスペクトがなくなってしまう。

私は、コンプレックスがあって、
それは、自分は、何かを0から「産み出す」才能が本当にないということだ。

だから、
音楽を作る人がすごいと思うし、
踊ることができる人がすごいと思うし、
小説を書ける人がすごいと思うし、
漫画を書ける人がすごいと思うし、
自分ではなにかを演じられる人がすごいと思うし、
映像で表現できる人がすごいと思うし、
話すことで人を笑わせることができる人がすごいと思う。

とにかくすべての創作活動に真剣に関わる人たちをすごいと思う。
何かを生むということは、おそろしく大変な作業だ。
私にはその気概もないし、忍耐力もないし、熱くたぎるようなものもない。

だからこそ、彼らを尊敬する。
だからこそ、彼らのことを少しでも「彼らそのまま」で多くに伝えられればいいなあと思う。

その気持ちを忘れてはいけないなーと、
アートマネジメントやマーケティングの勉強を進めるほどに思う。

勉強をしていると、つい知的な面白さが勝ってきて、
何のために自分が「今、これ」をしたいのかがわからなくなってしまう。

そういうときは思いっきり、大好きな舞台のDVDや音楽を聞いたりして、意識的に我に帰るようにしている。

私を動かす根本のものは、
触れるたびに生きててよかった、と思える”大好きなものたち”への焦がれるような愛情と、
それを生み出した人たちへの尽きることないレスペクトだ。
自分だけではけして届かない場所のことを、遠くからほんの少しでも垣間みせてもらった時、
自分はなんとちっぽけで無力な人間だと思う。
どれだけえらそうなことを言っても、彼らには何もかなわない。
それは、誰もが認めるような巨匠や天才だけでなく、「何かを本気で生み出そうとしている人」たちすべてに言えることだ。

そういう謙虚さに立ち返ること、そして常に立ち返り続けること、
その時はじめて、
自分にも何かその末端でできることはあるのかな、と思う。

昨日、
なんだか行き詰って、いろいろ見返したり聞き返したりしていて、
改めてこの想いを強くしました。

このことを常に感じておくために、
いろいろひと段落したら、高校卒業以来もう16年もやってないピアノを再開したいんだよね・・・
唯一私が「play」できるのが、ピアノだけなんだけど、
それに触れておくことで、いかに生み出すことが難しいなのかを感じておきたい。

まずは、ピアノがおけるぐらいの部屋に越したいものだけど。笑

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Arts Marketing 基礎の基礎~理念編<3>

前回、前々回からの続きエントリです。

<前エントリ>
Arts Marketing 基礎の基礎~理念編<2>
Arts Marketing 基礎の基礎~理念編<1>

今回は最後です。
なぜ、私が「マーケティング」なのか、というところに着地できればと思います。

※ ※ ※

■「芸術市場」の顧客は誰か

アーツマーケティング基礎の基礎~理念編<1>」にて、

「市場」とは

ある「価値」に関して、
その「価値」を「貨幣」を通じて「交換」する「顧客」、
と、「顧客となりうる潜在層」の集合体

であり、ゆえに、「芸術市場」とは、

鑑賞という行為にお金を払う人々の集合」であり、かつ
鑑賞対象は、プロのアーティストの芸術作品や芸術行為」である

というふうに書いた。

マーケティングとは、この「市場」のうえで、「価値」と「顧客」をアレンジメントする仕事。(だと思う)

じゃあ、
「芸術市場」で、芸術(&それに付随するもの←芸術市場での芸術の価値とはなんぞやという話はArts Marketingのこれまた基礎でもあるので、別項でできたらと思ってます)という「価値」を「交換」してもらう「顧客」とは誰なのか???

アーツ・マーケティング入門』には、こんなふうに書いてある。

「収入のある、健康な、大人」でかつ、
「芸術への支出優先順位が高く」
「プロの芸術作品や芸術行為になじみを持つ」人たち

わお

ビジネスの感覚で読むと「あたりまえ」と思ってしまうけど、
前々エントリでも書いた「公」の概念でみると、
あってはならない”選別”とも思ってしまう。
(だって、高齢者や低所得者、障害のある人たちのためのアート活動、子供に向けての教育活動っていうのはいっぱいあるし重要なものだしね)

でも、これは選別ではない。
芸術をより多くの人に楽しんでもらうために、
今現在、「市場」で実際「取引」をしている人たちはどういう人たちなのかを知り、
その幅をもっと広げていくことが重要なのだ、ということがこの本には書かれている。

■「市場」のパワーが「ミッション」へのパワーを生む(のかな)

芸術事業者のなかには、芸術はすべての人に開かれているので、鑑賞者のプロフィールを気にする必要はなく、また調べることを否定する者ものいる。
しかし、芸術がすべての人に価値があり、誰もが鑑賞可能な存在であっても、実際に鑑賞者として美術館や劇場、ホールに足を運ぶ人は限定されている。その鑑賞者が誰なのかを知ることは、決して、芸術の価値や意義を否定することにはならない。
それどころか、より多くの人に芸術を鑑賞してもらうためにも、現在の鑑賞者がどのような人々なのか、その構成はどのような特徴を持っているのかを知ることは必要になる。

「公共」と「商売」、「福祉」と「経済」、こういったものはお互い相容れない立場になることが多い。
でも、共存できる存在であり、また、もう少し強く言ってみるならば、
「市場」でのパワーのないものは、そのミッションを推進するパワーもない、
というのが、少なくとも今の世界に言えることではないかと思う。
(ちなみに、アートフェアプロデューサーである辛美沙さんは、「日本はそもそもアートが産業として機能していない」といっていたな・・・)

研究機関としての学術的な使命や、作品の保存などが根本的に重要なのはいうまでもない。
だが、それは観客の満足度を上げることや、都市の中で、他の産業や組織と共栄共存し文化と経済の発展に貢献することと両立し得る。
「アメリカのミュージアム・マーケティング」上山真一/稲葉郁子←次回取り上げたい記事

じゃあ、ビジネスのスキームをいれてバシバシ改革していけばいいのか、
といかないのが、おそらく芸術”産業”、芸術”市場”の難しいところであり、面白いところであり、素晴らしいところ、だとも思う。

■「良薬である」という説得ではなく、喜んで対価を支払ってまで楽しむ人の存在

ああ・・・
なんか、話がそれ気味になったうえに長くなっちゃった。
えっと話を戻すとですね、
「市場」の「顧客」は、ものすごく乱暴にいうと、「大人」だ、ということが言いたかったんす。

そして私が、以前のエントリで、「最終的には子供時代にどれだけ、がつーんとくるような文化を体験するかが、芸術が広がっていくためには重要だと思う」としながら、
そのためには、子供への教育はもちろんのことながら、やっぱり、親だ」と書いたところに、
ここでなんとなくつながるわけです。(ほんまか

私が、「親が大事だ」としたのは、
子供がさまざまなアートやエンタテイメントを自発的に好きになっていくには、
それを体験する場を与えられた、ということと、それ以上に、

「そういったものに、自発的にコストを払う(お金や時間)=価値を見出している人」
つまり、「なんらかの形で芸術市場に参加している人」がそばにいた、という環境

が重要なんじゃないかな、と思ったから。

芸術は、そもそも自分の資源であるお金や時間を差し出さなくても、まるまる一生生きていけるものだ。

芸術というものを、
「はい、いいお薬なんだから飲みなさい」と無理やり差し出され、飲むよう説得されたよくわからないもの、
というふうに意識づけされた子供は、ずっと、そういう意識で育っていくだろう。(や、途中で目覚めることはなんぼでもありますが)

そうではなく、
芸術とは、喜んで対価を支払って、それにあまりあるほど素敵な体験ができる、そう思っている人が近くにいること(つまり、一番わかりやすいのは親)。
そういう存在が、子供と芸術の接点のきっかけとして重要じゃないかなーと思っている。

そして、それをきっかけに心を開いて、その世界の面白さに夢中になった子供たちから、
未来の芸術や、未来の芸術産業や、未来の芸術市場を支えていく。
(そしてさっき書いたとおり、市場のパワーはそのままミッション推進のパワーにもなっていく(ようにしていかないといけないけど))

だから、私は、
最終的にそういった「子供」に戻っていくために、
すでに、もしくはいずれ親になり、親にならずとも年若い人々と接していくことになる「大人」に向けて、
「芸術市場」に参加してもらうよう働き掛けたいんだな、と。

※ ※ ※

アーツ・マーケティング入門』の前半部分を元につらつらと書いたこのエントリシリーズはここでいったん終了。

アートマネジメントの文献や事例を紐解きながら

めちゃめちゃ広大で問題山積な「アート(マネジメント)」の世界で、なんで(わりとうざがられる傾向もあるという)マーケティングに興味があるのか。
単にずっと仕事としてやっていたからそう思うだけなのかしら。
はたして、アートの世界にマーケティングは必要とされているのかしら。

なんてことを思うこともあった。
でも、この一連のエントリ(+「芸術好きになるもならぬも、親次第」)を書きながら、なんとなく、自分の中にひとつの核、道筋のようなものが見えた気がするわ。

引き続き、Arts Marketing関連で、気づいたこと学んだこと思ったことを書いていこうと思います。
(マネジメント部分やアート業界のことも、書いていきたい)

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Arts Marketing 基礎の基礎~理念編<2>

前エントリの続きです。
引き続き、芸術をマーケティングしていく際に基本的に認識しておかなければいけないことを書いていきます。
今回は、「アートとエンタテイメント」の違いと「非営利が扱う価値」について。

<前エントリ>
Arts Marketing 基礎の基礎~理念編<1>



■アートとエンターテイメントの違いは?

さて、「市場」とはなんぞや、というところがわかったところでお次は、
では、「顧客」を持つ「芸術市場」の特徴はなんだ、という話になる。

それを考えていくと、
「そもそも芸術ってなに?」「アートとエンタメの違いってなんなのさ?」という話になっていく。
(だって、「何」の価値を買う人かわからないと、市場の特徴もわからないから・・・。)

昔のエントリでも書いたとおり、アートとそうでないものの違いというのは、
内容だけをみた場合、とってもあいまいなものである。
アートだから価値がある、とか、エンターテイメントだから大衆じみているとか、
そういうことはない。

でもやぱりそこには、明らかな違いがあって、
それは

市場経済で成り立つ営利(PROFIT)を目的としたものをエンターテイメント、それに対して市場経済で成り立ちにくい非営利(NON-PROFIT)のものをアート(「進化するアートマネージメント」)」

とする、いうこと。

経済的な部分、
言ってみれば、それだけ、とも言える。(そこがまあ大きいわけですが)

市場経済で成り立ちにくい、というのは、

制作コストのわりに市場が小さかったり(オペラ、クラシックコンサートなど)、
すぐに多くの同時代人の理解は得にくいが時代を映すものとして創作活動を守るべきもの(現代アートや実験演劇など)ということで、

既に、60年代にアメリカの経済学者ボウモルとボウエンが「公的支援がなければ、近い将来芸術は滅ぶ」という研究を発表していたりして(『舞台芸術 芸術と経済のジレンマ』という邦訳あり。そしてこの研究成果のもと、アメリカではじめて公的芸術支援制度「NEA(全米芸術基金)」が創設され、アートマネジメントの歴史が始まる)
今更そこをガタガタいっても始まらない、芸術の宿命とも言える部分かもしれない。

■非営利は売れなくていいのか

さて、この「非営利」という部分が、「公」と同様、くせものな言葉。

営利であれば、良くも悪くも「売上」という基準が確固たるものとしてある。
企業としてのミッションはありつつも、売上目標というものが存在し、それへの必達が(特に上場企業では)求められる。

非営利の場合、
事業の目的は売上ではない。
その事業のミッションを達成することが、目的である。

多くの芸術組織の目的は、目先の収益の最大化ではなく、その組織が目指す芸術活動、
その組織が設立された芸術的動機を現実化することだ。

では、商業ベースに乗らない様々な芸術活動を行いましょう・・・
と考えた時、「公」と同様、「すべてのもの」を対象にしてしまう

そして、戦略のない芸術活動を行ったり、そうしているうちに「国のお金でなにやってんだよ」と“自助努力”を求める声が内外からあがり、集客力の高いものや、お隣が成功した演目を真似てやってみたりする、

そんな現状の芸術団体、施設が多い、と『アーツ・マーケティング入門』の中では語られている。

そして、けして非営利が扱うものは「売れないもの」ではない、と、語る。

「商業ベースに乗らない」事業は、人々がお金を出そうという気がない、価値がないと思っている事業などでは決してない。そうではなく、購買時にすぐそのコストを回収できない性質の事業なのである。そして、すぐ回収できないものであるにも係わらず、そのような事業が存在するのは、時間が掛かっても累計では受益者が増える性質を持ち、また、プロダクトの受益者本人だけでなく、社会全体として価値を享受できる性質を持っているものなのだ。

※注釈
いわゆる「売れない」事業と、この点を区別する必要がある。芸術は、ともすると独りよがりの行為もあるので、この区別は重要である。従って、「売れない」芸術団体や、アーティストを、無条件に支援することは正しいとはいえない。

ここで、「営利/非営利」に続くアートとエンターテイメントを分ける軸として、
短期利益追求/長期価値追求」という軸が生まれる。

つまり、何年もかけてコストを回収する、もしくは社会に(そして社会を構成する人たちに)よい影響を与える、という「価値」を、市場でやりとりするのが、「芸術市場」である、ということであって、
“(何年たとうと、価値として)売れない”ものを扱うことではない。
その価値をわかってもらうために行うことが、芸術のマーケティングである。

芸術事業の社会的マーケティングの中心は、ミッションのマーケティングだ。
第3章で述べたように、ミッションとは、芸術事業組織の「社会的使命」である。
芸術団体、芸術施設が社会の中でどのような役割をするか、その具体的活動と指針をまとめたものである。
つまり、ミッションは、これまで見てきたような、モノやサービスではない。アイデア(考え方、主義主張)である。

まずは、それぞれ固有のミッションありき。
それに賛同してくれる人々を増やし、目指す「きっといい世界」と実現するために使われるマーケティングという手法

なんだか、もう10数年感じていた「芸術」とその仕事に関するイメージや偏見、もやもやがぱあっと晴れた気がする。
と同時に、このアーツマーケティングという仕事は、とてもとても一筋縄でいかず、日本ではまだ専門職にもいたっていない、やりがいがある仕事だなあと、思うことしきり。

さて、もう少しだけ、続きます。
続いては、「顧客」とは誰か、そして「親」に関する話にリンクする予定・・・です。

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<参考図書>
アーツ・マーケティング入門―芸術市場に戦略をデザインする (文化とまちづくり叢書) (文化とまちづくり叢書) (文化とまちづくり叢書) (文化とまちづくり叢書)

進化するアートマネージメント

舞台芸術 芸術と経済のジレンマ

アーツ・マネジメント概論 (文化とまちづくり叢書)

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Arts Marketing 基礎の基礎~理念編<1>

ブログ、まだ不具合残り中ですが、更新していきます。

今回は、今年6月に出た新刊『アーツ・マーケティング入門』の前半部分を元に、arts marketingの根本となる考え方をメモしつつ、前々回のエントリー「芸術好きになるもならぬも、親次第?」にも若干からめます。

長くなるので、何回かにわけようかな。
まずここでは、「”芸術市場”ってなに?」という話。
その次のエントリで、「じゃあ、その市場で扱っている価値って、どんな特徴があるのさ・・・」という話に行きますです。そして、アートマーケティングの話へ。
みずからの勉強へのフォローを兼ねているので、かなりマニアックなこと書きます。。。
でも芸術やそのマーケティングに興味がある方は読んでくださるとうれしいです。

※ ※ ※

いつか、このこともきちんと書こうと思ってるけど、
そもそも「芸術」という言葉はすごくあいまいで、すごく多くの意味を持っているものだ。

かたや、貴族の瀟洒な道楽として、
かたや、一握りの人しか到達できない精神の爆発として、
かたや、現代のお金持ちの最高の消費物というゲームの道具として、
かたや、誰もが等しく触れる機会を持つべきである人間の基本的権利として、

」と「」、「公共」と「特権」、
相反するふたつのものが混じり合ってるのが芸術というもので、
そこに私はとても面白さと、(ライフ)ワークとしてみてもまだまだ未踏の可能性を感じているわけだけど、

そこについての細かい話は、また別エントリーで。
(そもそも、本当は、芸術の話をしようと思ったら「なんで、芸術は公的支援が必要やねん?」という話を最初に書かなくちゃいけないのかもだけど、まあ、すごく難しい話でもあるので)

今回書きたいのは、
「芸術市場」とは何か?
ということ。

そして、「芸術市場」と「芸術」は違うということ。

いろいろと、アートマーケティング、アートマネジメントの本を読んでいるが、
アーツ・マーケティング入門』は、このことを最初の部分でかなりこだわって書いてあり、勉強になった。

■まずは、マーケティングの基本から

マーケティングとは何か。
その話の前には、「マーケット=市場」とはなんぞや、という話になる。

市場とは、

ある「価値」に関して、
その「価値」を「貨幣」を通じて「交換」する「顧客」、
と、「顧客となりうる潜在層」の集合体

である。
「芸術市場」と「芸術」が違う、というのは、
マーケティングが機能する場である「市場」の条件が上記である以上、
「無料での芸術愛好者」といったものは外れるからだ。

「芸術市場」とは単なる芸術愛好家の集まりではない。芸術事業を提供しようとする者と鑑賞者の間に、「貨幣」という購買手段が介在して、展覧会や公演が行われる状況を指す。
従って、アマチュアの芸術集団がたくさんある地域であっても、そのことが芸術市場の存在を証明することにはならない。芸術愛好者がいて、アマチュア芸術集団があったとしても、お金を払って鑑賞しようとする人がいなければ、芸術の「市場」は成立しない。

つまり、「芸術市場」とは、
「鑑賞という行為にお金を払う人々の集合」であり、かつ
「鑑賞対象は、プロのアーティストの芸術作品や芸術行為」である、ということになる。
これは、そうでないアマチュアがNGというわけでは、もちろん!けして!なくて
あくまで「芸術市場」とは何か、を考えた時の話。
ちょっと基本に立ち返りかもしれないけど、芸術というのは後で述べるとおり、「公」のものでもあるので、ここから意識しておいた方がいい。

で。

価値の交換を行う場所であれば、まず、価値の受け手側が価値をわからないといけない。
価値の提供側から受け手側へ、価値をわかってもらうための手法が、マーケティングである。

マーケティングとは宣伝・広告ではなく、また単なるお金のやりとりでもない。
いかに、価値あるモノを「価値」として認識してもらうか、その機会を作り、価値に出会ってよかったと満足して帰ってもらうことなのである。

しかし。

■「公」であるがゆえの誤解

当たり前に見えるころが、「芸術」となった瞬間に靄の中に隠れてしまう場合がある。

芸術活動は、しばしば「存在していることに価値がある」、「行うことに価値がある」と喧伝されている。しかし、仮にヴァイオリンを演奏する行為が、10カラットのダイヤモンドの価値を下らないとヴァイオリニストが思っているだけでは、「芸術市場」は成立しない。
「市場」として成立するには、実際にそこに「取引」が成立すること、つまり、そのヴァイオリン演奏に対して、価格を付ける「顧客」がいなければならない。

ところが、芸術事業の場合、芸術は社会の宝で、世の中すべての人に対して価値があると考える傾向があるためか、やみくもにすべての人を対象に戦略を立ててしまうことが多い。そのため、見当はずれな場所に広告を出したり、限られる組織資源を広範囲に配置して、組織活動の効率を落としてしまったりする。

芸術とは、公的な支援のもとに、すべての人に与えられるべき権利である
という考え、
(これ自体は間違っていないのだけど)
これが元で、「全員対象のマーケティング」を行ってしまうことがarts marketingの誤解のひとつである、と
ここには書かれている。

芸術はすべての人に与えられるべき権利」ということを、
各団体等すべてが、全員の人対象で芸術の提供を行わなければいけない
というふうに誤解してはいけないわけで、

団体ごとに、「私たちは、こういった理念の元(設立目的)、この部分を軸として(提供価値)、この人々たちを中心に価値を提供していく。それが社会全体のためになる」というミッションは異なるわけで、
そのミッションを効果的に伝えていくために、マーケティングは行われるべきである、というわけ。

アートの勉強をしていると、「公的援助」「公的施設」「公的」「公的」「公・・・」・・・
と、いやでも「パブリック」の概念を意識せざるを得ないのだけど、
「公」「パブリック」という言葉の裏側にある、「組織体の全員へ」という意味の強さが、
上記に述べた、あたりまえのことを忘れさせてしまうことが、arts marketingのひとつの落とし穴だなあと思うし、
片や「マーケティング」という言葉に対する偏見(売らんかな、の技術でしょ、という)でもあるなあと思う。

※ ※ ※

・・・最初書いたとおり、
いったんここで区切ります。

次エントリーでは
「市場」とはなんぞや、というところがわかったところで、芸術市場へのマーケティングの特徴について書いていきます。
芸術と言えば必ず出てくる「そもそもアートとエンターテイメントの違いってなんや?」という話、そして「営利」「非営利」の話なんかも書きます。
(実は、私、非営利というものにすごく偏見があったもんで、
このあたりは、自分でも租借しながら、ゆっくり考えつつ、自分のスタンスを決めていきたい)

<参考図書>
アーツ・マーケティング入門―芸術市場に戦略をデザインする (文化とまちづくり叢書) (文化とまちづくり叢書) (文化とまちづくり叢書) (文化とまちづくり叢書)

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芸術好きになるもならぬも、親次第

今回は、”arts marketing”としての「芸術鑑賞教育」について、思ったことを書きとめておきます。
芸術のマーケティングにおいて、一番重要なのは「親」だなーという話。
長いです。

※ ※ ※

芸術をマーケティングしていくにあたり、大きくわけて内的問題の解決と外的問題の解決、2つの方向性がある。

「内的問題」とは、そもそもどうやって芸術というのに興味をもってもらおうか、というもの。
「外的問題」は、興味はあるけどアクセスができない諸問題(場所、料金、時間)。
どちらが欠けてもマーケティングは上手くいかないんだけど、個人的には「内的問題」に、より興味がわく。
一般的に、芸術は敷居が高い。偏見もある。知らない、というのもある。
そこが解決されないと、どれだけ外的要因が揃っても、広がらない部分があると思う。

んでは、
どうやって芸術に興味をもってもらうか?
その手法のひとつとして、鑑賞教育というのがある。
(マーケティングじゃなくて、もうエデュケーションの分野だけど)

■実施されている、さまざまな鑑賞教育

鑑賞教育、とは、

「観客がアーティストの意図、作品の意味を理解するためのヒントを与えること。
教育という言葉を使ってはいても、トップダウン式に知識を教え込むのではなく、観客の一人一人が、ヒントを元に作品について考えられるようにすることが肝心である。」

(「進化するアート・マネージメント」林容子 より)

ワークショップ、アートオリエンテーリング、
ギャラリートーク、レクチャー、シンポジウム

いろいろな種類のものがあるが、
美術館や劇場で行われるものに関しては、
やっぱり、そもそもそれに興味がある人しかしかないんじゃね?というわけで、
「アウトリーチ」といって、芸術団体や芸術家みずからが公共施設などに出向いて、さまざまな活動を行う、なんてのもある。

アウトリーチはアメリカですごく盛んで、
名だたる芸術団体、劇場からNPO、大学までさまざまな試みが行われております。
※1 最後の注釈にアメリカの事例をあげておきました

ちなみに、
ゲイジュツカンショウキョウイク、なんていうと、お固いところが実施するお固いもの、に思えるけど、
ブロードウェイやウエストエンドのミュージカルでも、ウェブサイトに子供たちをつれてやってくる学校の先生や親のため、そして子供たち本人のためのスタディガイドが準備されていることが多い。

このスタディガイドは30~50ページぐらいあって、
ミュージカルの背景となった社会的問題や人の心理についての説明や、シナリオや舞台写真を記載して、
「なぜここで彼はこういったか考えてみよう」なんていうシーンの理解を深めていくためのポイントがかなり詳しく書かれていて、別に生徒じゃなくても、十分面白い。
(たとえば、「HairSpray」では公民権運動の歴史の記述、「RENT」ではロックというジャンルに関して、「Mary Poppins」では原作へのアプローチ、などなど)

こういうのを観ると、ブロードウェイやウエストエンドではミュージカルというものが、
ただ「たのしー♪」だけのものではない、
人の心を成長させていくだけのパッションをもって作られたものである、という土壌
があるなあと思う。
いつか、このことはいくつかの舞台のスタディガイドをちゃんと読んで、書きたいと思ってマス。

おっと、脱線。

で、鑑賞教育の話。

日本でも、古くは日本フィルの夏休みコンサートから、日本オーケストラ連盟のワークショップ普及事業、
文化庁の「本物の舞台芸術体験事業」、以前も書いた三枝成彰氏の「はじめてのクラシック」、
サントリーホールでの子供定期演奏会、カーネギーホールとの教育プログラム提携、
・・・などなど、
ノウハウ・リソースの不足、助成の問題も含め、さまざまな課題がありつつも、いろいろな教育&アウトリーチ活動があるなあと思う。

んで、今までずらずら並べた教育活動、圧倒的に子供~10代対象のものが多い
(もちろん大人向けギャラリートークやセミナーもあるけど、あれは美術愛好者or愛好者になりたい人向けなので、ちょっと新たな鑑賞者を開発することとは性質が違ってくるかなーと思う)
やっぱり「将来の芸術を支える人たち」であるわけだし、
子供の頃に感じた「衝撃」にまさるものはない。

私自身も、芸術のマーケティングのことを考えると、
最後にいきつくのは、
「かつての私がそうだったように、小さい頃や10代の頃にびっくりするような豊かな文化経験(←こういうと固いけど)を、いっぱいの子供にしてほしいと思う」
という想いだ。

だから、マーケティングではなくエデュケーションの分野にも、
けっこう興味がありんす。

■学校で観た「芸術鑑賞の時間」の思い出って・・

でもね・・・

こういった子供向けの活動、
そのひとつひとつの試みを必要であり、素晴らしいものだし、一人でも多くの子供の胸に響くといいなと思いながら、
いつも心にひっかかることがある。

なにかというと。

こういった活動は、学校と連携して、
学校の活動のひとつとして行われるタイプのものが多い。

・・・でもさー

自分の子供時代、学生時代のことを思い出してみよう。

学校で聴いたオーケストラ。
学校で観に行ったお芝居。

なんか・・・なんか・・・
どれも・・・
つ、つ、つまらなくなかっただろうか?
(ひゃー、携わられている方、ごめんなさい><。)

いや、
つまらなくなかった人もいるだろうし、
実際、私自身は楽しかったものもあったような気がする。
でもそれは、当時すでに私が「そういうもの」が好きだったからだ。

でもね、私個人の記憶にすぎないんだけど、
だいたいの子供は、

「授業がなくてラッキー♪」←苦笑

ぐらいの、
そういう認識であって、

「楽しかった」ぐらいあったとしても、(実際、実施後のアンケートの結果では「楽しかった」という回答は多い)

「人生が変わるほど楽しかった」「しばらくそのことがずっと頭に回り続けるほど衝撃を受けた」

ということは、
なかなかないんじゃないかなーーーとも、
思うんですよね。
(これに関しては、ほんと私の憶測で書いてるけど。まあ、僭越ながらそうだと仮定して、話を進めます)

なんでだろう、と考えるに、
カリキュラムのさらなる発展の必要性や、
教育者ではないアーティストと現場の教職の方とのすり合わせがちゃんとされていないまま行われた、とか
(アウトリーチ活動についての研究の中であった、教育現場に取り入れた先生方からとったデータでもそのような要因が出ている)
いろいろあるけど、
大きいのは、カリキュラムや演奏者の問題ではなく、
子どもたちの心の中に「学校でおしきせられたもの」という前提があるから、ということが大きいと思う。
そもそもそうやって、子どもたちはみてしまう、というか。

そう思うにつけ、私が、
幼少期に芸術、文化と衝撃的な出会いをするきっかけとして、やっぱり重要だなー、と思うのは
「親」の存在である。

■本は尊敬する人の影響を受ける。映画は一緒にみる人に左右される。

個人の芸術体験、芸術素養における「親」の存在の大きさ。

それに関しては、今までいろんな形でいわれてきている。

家庭がもつ無意識的な文化的な素養や財の集合体である「文化資本」を提唱し、
「個人の趣味」と「階級」の関係性を説いたフランスの社会学者ピエール・ブリュドゥーは、彼の著作『ディスタンクシオン』で、
「文化資本」が豊かな人たちは、
意識的に行われる”文化への学習”とともに、家庭における無意識的な体験が礎となっていることを明らかにしている。

それに対応するように、
91年のサントリー不易流行研究所が実施した劇場と観客の調査研究でも、
「演劇鑑賞の楽しみ」を自分の趣味として取り入れている人がどうやって、その楽しみと出会ったかというと、
ダントツで、「子供の頃、親に連れられて」だった。
(その次が、学生時代の友人の影響。学校、はないんだよー!)

逆に、小中学生で、「劇場へ行かない」理由を問うた調査(「国民の文化に関する意識調査」三和総合研究所)では、
これはもっともだけど、「保護者が行ってくれない」というのが理由の上位にあげられている。
(他、「会場が近くにない」「チケットが高い」など)

そして、
これは「子ども」に限らないけど、
消費者が意思決定をする場合、誰の意見が選ばれるか、という研究において、

(「芸術」よりマスなイメージになるけど)「CD・映画」はダントツで
「関係他者=調和的な関係を維持する相手=家族や共同体メンバー」の意見が行動に大きい影響を与える、という結果が出ている。
(「ネットが変える消費者行動」宮田加久子・池田謙一編著より)

※これは、かたや「書籍や雑誌」が「基準他者=消費者が基準としたい相手として認識している人(たとえば、ある人物が「いい」といったものが売れる、といった際の「ある人物」)」の意見が尊重されるという結果と比べると、
同じ「文化」の中におさまるものであるにも関わらず、違いが顕著。
芸術鑑賞行為は、「外へ出る」行為で鑑賞後のご飯等も含めて「鑑賞行為」になるので、やっぱり「映画」に近いものと考える。
以下、同署から引用

書籍・雑誌については、好みが合うという類似性よりも適切な知識・情報が必要なカテゴリーとして「基準他者」が選ばれるのであろう。逆に、CD・映画で「関係他者」が多いのは、趣味がかかわる商品であるために類似性の高い相手である関係他者が選ばれやすいと考えられる。

■心から楽しむ親がいてはじめて、子は芸術に心を開く?

ながながと引用したけど、
私個人の体験を思ってみても、
やっぱり、「親」って、おそらく「芸術を愛する人を増やす」ために一番重要なキーなのではないかな、と思っている。

さらに思うのは、「連れて行く」ことが、なんというか・・・「親の見栄」とか「こういうことに触れさせとけばいいだろう」的な発想だと、やっぱりそれは「学校でのおしきせ感」に近くなっちゃうのかなあ・・・という気がする。

ぜひわが子に観てほしい」でも「お母さん(お父さん)が大好きなものだから観たい」でも
なんでもいいんだけど、親側のポジティブな気持ちがあると、
子供にとってはそれは、「芸術鑑賞」ではなく、「親との思い出のひとつ」になるんじゃないかなーと。

その土壌があってはじめて、子供は素直に目の前のものに心を開くんじゃないかなーと。

そうして、心を開いて衝撃を受けた子供は、大きくなって親になった時、子供に同じ想いをさせてあげようと考える、と、思う。
それこそが、長い時間をかけての、マーケットの拡張、鑑賞者開発なんじゃないか、そんなふうに思うわけです。
※ちなみに我が家は、子供のうちから芸術鑑賞を!なんて家じゃなかったけど、
母親が洋楽好きで家で音楽がなっていたこと(だから、「ライブエイド」のTV中継も、私が観たいって言ったというより、自然とかけてくれていた)、自分が観た映画を「すっごくおもしろかったよー!」と見せてくれたこと、
なんてところが大きい。
そして、実際連れて行ってもらった、というのはないけど、そもそも母親が宝塚が好きだったり、絵を描いていたり、という下地が、数ある楽しみの中からミュージカルにつれていってもらえた理由としてあると思う。

まーあとは、祖父母の意向でピアノを習ったり、歌舞伎につれて行ってもらったり、というのもあるわねー。

もちろん、
学校での課外活動的なことが意味がないわけではまったくなくて、
市内の公立中学校1年生全員を対象として横須賀芸術劇場でオペラ鑑賞教室を行った横須賀市の例なんかは(市長の「親が関心をもたないとその子供は会場につれてきてもらう機会がもてない」という意見が反映されたそうな)、
市全部の中学生が、一度はオペラ鑑賞経験がある状況、というのを作ったことが素晴らしいとも思う。
(だって、大人になってから、なかなかオペラ見に行けないよー!高いし!!)

でもね、そういった活動のもうひとつの軸として、
「親への啓蒙」というのは、もっと根本的で非常に重要だなあと思うわけです。

もっといえば、「親になったから」ではなく、
来るべき「親」候補である子供のいない20代、30代の社会人のうちから。。。。
なんだけど。
(ここまでいくと、にわとりたまご話になるので、あまり深く考えない。笑)

「啓蒙」というとなんか上から目線だけど(笑)、そうじゃなくて、改めて「芸術を体験するっていいな!」って私たち親世代自身が思う、そういう経験かなあ。
興味あるけど、よくわかんない、って人もいるだろうし。

そういや、最近ADKが「自分の子どもについて育てる必要があると考える生活力」調査というのを行っていて、
その中で、
「芸術的なセンス」というのは、すべての生活力の中で一番必要がないものって思われている。
そういう誤解もどんどん解いていくべきだと思う。
(ま、「芸術的なセンス」って言い方はね・・・たしかにそれより、基礎体力とかマナーとか、相手を思いやる心なんかを身につけてほしいわな。むしろ、芸術を鑑賞することで身につくことは「芸術的なセンス」ではなく、もっと土台の力であることを言うべきか)

実際、子供向けに比べると圧倒的に数は少ないけど、親に向けてのプログラムも国内外にあるわけで、
そういったものもちょっと調べてみたいなあと思っています。

※ ※ ※

いやいや長くなったけど、
芸術のマーケティング、芸術のマネジメント、そして、そもそも社会において「芸術」というものが果たしている役割とその歴史、というのは、本当にいろんな側面があって奥が深くて、面白い。

現在おこもり期間ですので、
日々の学びの中で感じたことを、これからもブログに書いていきたいと思います。
今日いろいろあげた例や引用も、それがいちいち面白いのでまたちゃんと書けたらいいのうー。

※1ヶ月半ブログ更新しないでいたら、ランキングが大変なことに。T-T
また、よろしくお願いします!

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復活・・・

035.jpg

ひゃー

1ヶ月も間があいてしまいました。

ここ最近、ずっと出歩いたりなんだりで腰が座ってなかったのですが、
ようやく今週から落ち着き期間に突入したので、
またブログをゆるゆる復活させようと思います。
とはいえ、たくさんの量書くのはまたしばらく無理そうやわ~

ちゅーわけで、
あいもかわらずマイペースで。

とりあえずここ1ヶ月でためた、本ブログ用書きたいネタを羅列でもしておこう

☆アート関係プロデューサー?辛美沙さんにお話を聞いた件 日本と海外のアート”業界”の温度差について
☆トニー賞ネタ
☆企業ブランディングとしてのアート(エンターテイメント)とその実態
☆シャネルでの若手音楽家支援プログラムを聴きに行った件
☆趣味における「差異と欲望」について
☆「消費時に誰の意見を参考にするか 聞くか」における読書体験と鑑賞体験の差
☆トヨタ芸術環境KAIZENプロジェクトプレゼンに参加してみた件
☆ブランドとインターネット
☆芸術教育のこと ブロードウェイミュージカルにおけるエデュケーションプログラムをみて。
☆金城一紀「映画篇」のこと。
☆全然かけていないベジャール公演(涙)

などなど

最近、原点回帰じゃないけど、
アートって、というか、日本、世界のアートを取り巻く環境、あまりにも膨大な側面がありすぎるアートというもの、
が、めちゃめちゃ面白くて、
天気が良すぎるお昼間、おうちでセミの声を聞きながら本を読んでいる時、
もしくは、たらたら散歩しながら美術館をぐーるぐーるぐーるぐーるしている時、
が、一番幸せです。笑

はうー

今年の夏は遊ばない!ひたすらインプットの毎日!

と、言いながら、

やっぱサマソニ行きたいなあ(笑)

verve.jpg

今年は行く気全然なかったから、ノーチェックだったんだけど、
初日のヘッドライナーはTheVerveですって!

いやーん
(てゆーか、再結成してたのしらなかったけど・・・)

しかもVerveの前はProdigyらしい。

90年代後半UKな感じで、なんかもろ青春まっさかりな感じ(っていっても、社会人1年生ぐらいだけど)ぐっどぐっど
ちなみに、翌日はアリシア・キーズも出ますね・・・一度、生で歌声を聞いてみたんだけど。

あー
チケットとっちゃおうかな

・・・というかんじの、2008年夏のはじまり、でした。

しょぼしょぼ更新していくよーたぶん。

復活・・・http://artsmarketing.jp/wp-includes/images/crystal/default.png*arts marketing.jp
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ザ・プロフェッショナル 植村秀

書けてないネタがたまってきてますが、のんびり書いていきます。

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招待券をもらっていた「シュウウエムラ展」へ
ブティック創設25周年だというし、ブランドのPR的展示会だと思って、軽い気持ちで散歩ついでに行きました。

・・・感動した!(わお)

これね、メイクには関心のない男性にも、ぜひ行ってほしい。
だって、仕事人、というか人としてのプロフェッショナルをめちゃめちゃ感じられる展覧会だったから。

植村秀の生い立ちから辿る、シュウウエムラの哲学

展示会の構成は、
前半はシュウウエムラのプロダクツとその哲学についての展示、
後半は、昨年末に永眠された創設者の植村秀氏の生い立ちを、当時の写真や愛用品、コレクションで辿りながら、最後、氏が手掛けたモードメイクの写真、そしてメイクアップショーの映像で締めくくられるというもの。

前半のプロダクツの美しさや、植村秀氏の語録(!これがもう、一言ひとことがよい!)も素敵な演出だったが、
後半がさらに素晴らしい。

ハリウッドの俳優から頂いた小さな小さな「Thank you!」のカードから、
ご自身のスケッチブックや愛用されていたペン、すべてが、
古いながらも長く大事にしてきたことがひとめでわかる保存状態であり、
氏のぴんとした美意識と人柄を感じることができる。

※個人的には、フランク・シナトラがプレゼントした「Shu Shu Baby」と書かれたメイクボックスや、
ディズニーのなんかの記念の時に作られたという、白雪姫の魔女のイラストが描かれたメイクボックス(白雪姫プレスドメイクアップマジックミラー)に、心をくすぐられることしきり。
そういや、あのメイクボックスって一度は憧れるよね!!

そして圧巻なのが、最後のモードメイクの写真と映像の展示。

■晩年まで衰えることのないメイクへの情熱!

植村氏は40歳からモードメイクの発表を開始し(「メイクの自由宣言」)、
79歳での永眠直後に発表された遺作を含め、生涯126の作品を世に出している。

shuuemura02.jpg

※真ん中が第一作「Flaggy」


すべてが40歳を超えてからの作品
であるということが信じられないほど”とんがって”いて、
「クリエイティブ」というのは、こういうものにこそ使われる言葉だなあ、と心の底から思う。

そして、晩年、最後に発表された「REBIRTH」。

shuuemura03.jpg

最後の作品のタイトルが奇しくも「REBIRTH」であることからして、なんだかもう出来すぎているんだけど、
メイク自体も、一番明るく、アクティブで、生命力があり、
やもすると知的にすぎるモードメイクもある中で、なにか超えてしまったようなところがある。

先日、ベジャールの未完成の遺作「イーゴリと私たち」を観た時(ああ、この話もかかなきゃ)も、
そのダンスの明るさやコミカルさ、躍動感にちょっと驚いたんだけど、
両氏とも、80歳にして(そういや、植村氏もベジャールもほぼ同い年だ)、
いまだに「メイクが好きだ」「ダンスが好きだ」という想いに溢れている、
むしろそういう想いが純化しているようにすら見える
ところが、ものすごいエナジーだな、と思う。

もう、それだけで、圧倒。笑

■圧巻のメイクアップショーに感動・・・

shuuemura.jpg

しかし、さらに私の目を奪ったのが、延々と流れるメイクアップショーの映像。

植村氏はモデルへのメイクアップの工程を舞台の上で見せるというショーを、1972年から何度も開催している。
流れていた映像が、いつの、どこでのショーかはわからなかったんだけど、
植村氏の外見から察するに、おそらく最近のもの。

真中のデスクにはメイクボックス
その後ろには、モデルのメイク前の準備をアシスタントが行うデスク
無造作につりさげられたいくつかのシンプルな服

そのような舞台で、次々に登場するモデルに、休みなくメイクし続ける植村氏。

おおぜいの人前で見せるのは、
細かいテクニックではないしモデルでもない。
つくる者の真剣な姿を見せることだ。
焦りも興奮も、ショーではそのまま伝わる

という、彼の言葉どおり、
まぶた、眉、唇と筆(や指)を動かしながら、
観たこともないようなメイクを作り出していく彼の姿はとてもしなやかであり、
かつ殺気立つような視線とオーラで観る者を惹きつける。

私は、何気なしに、奥にある大きなスクリーンの前に座って見始めたんだけど、
スクリーンから伝わる迫力に、ほんとにまいってしまった。

もうね、どんだけでも観ていたくなるパワーがあるのだ。

伝統とは、革新の連続である。

これも、植村氏の言葉であるが、
「伝統」を「ブランド」に置き換えてもいい。
80歳を目前にした晩年まで、革新し続けること。
それが、シュウウエムラというブランドになる。

そして、改めて、ブランドを作るものは「人」と「時間」だな、と感じた。

私はといえば。
あまりに映像に感銘を受けすぎて、
その後展示されていた、今年シュウウエムラが提唱しているSUSABIプロジェクトとアーティストとのコラボレーションに関してはあまり目に入らないまま、展覧会をあとにしてしまいました・・・・笑

■クリエイティブと、技術と、ビジネスのバランス

wwdbeauty.jpg

さて、帰宅後。

早速、晩年の植村氏へのロングインタビューが掲載された、WWD BEAUTY(植村秀追悼特集号)を読んだところ(展覧会終了後、即購入よ!)、ショーについて植村氏自身がこのようなことを語っていた。

一つの仕草がやはりきれいだなとかね、一つの踊りのようにね、そういう風に見せることは出来ないかなと思ったわけよ。
で、そういう風に見せることはね、やっぱりショーになるだろうなと思ったわけ。

一つのショーがですね、
非常にある意味では感動を与えられるショーになればね、それをきっかけにしてメイクに対する関心が広まるというか強くなるしね。
まあそれが、メイクっていうものを進歩させるとか、あるいは盛んにさせるとかになるだろうなと思ってね。

shuuemura00.jpg

最初は演劇にのめりこみ役者を目指していたという、彼ならではの発想と発言。
そして、
なるほどなー
やっぱりあのショーは、そういうもくろみで彼が始めたことなんだ。
と思うと同時に、(それはインタビューの全般に渡って感じられることなんだけど)
植村秀という人は、アーティストでありながらも優秀なビジネスマンであり、(よい意味で)野心のある人だったんだ、と強く感じた。

みなさんは単なる技術者じゃなく、技術者だけれども、やはりビジネスマンとしても優秀であること。
(中略)
だから美容に関係あるものはどんどん、どんどん美容師の仕事として取り入れて2倍、3倍の収入があがるように。

これまた先日行った「青春のロシア・アバンギャルド」展(ああ、これまた書かなきゃ・・・)でも思ったのだけど、
人として、私はそういうアーティスティックな面とビジネスな面、トータルな感覚をもった人に惹かれるよう。
(20世紀初頭のロシアのアーティストとかって、みんなアートもするけど、出版や服飾や教育にも携わってるんだよねー)
そういう人だから好きになる、というよりかは、
興味をもってみたらそうだった、という感じなんだけど。

今回、植村氏に興味がむくむくと湧いたのも、もああやっぱりそのパターンなのね。

・・・とまあ、そんなこんなで、
すっかり植村秀という人に魅せられたワタクシでした。

My「人」ファイルの歴史がまた1ページ。←銀河英雄伝説風

■ライブとデジタルの境界面の可能性

最後にもうひとつ感じたこと。

これは植村氏の仕事ではなく、展示会自体のことなんだけど、
少し、仕事的な言い方になっちゃうけど、
やっぱり、マーケティング・プロモーション(そしてブランディング)の手法のひとつとして、
”ライブ”(と、デジタル/IT/映像技術との融合)というのはまだまだ可能性が高いな、ということ。

というか、私、好きだな、と。

リアルに人のエモーションを触発するものほど強いものはない。
そしてそれを多くの人に伝え、ぽんとその人の中で発火させる触媒として、映像やデジタル、ITは親和性が高い。

人、直で感じる熱気、コンマ1秒にこめられたニュアンス

01の世界のデジタル

この相反するように見えるものの境界線、というか境界面、というか、融合してぼやっとしているところに私は立って周りを見渡したいんだなー、
と、改めて思いました。

なかなか展覧会としても面白かったので、
男性もぜひ行ってほしいわん。

※ジャンルが違ってきているのが気がひけますが・・・笑
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英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展 雑感

英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」へ行く。@森美術館

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ターナー賞とは、イギリスの現代芸術家に与えられる賞で、テート・ギャラリーが1984年から開催している。
今回は、1984年初回の受賞作から昨年のものまで一気に回顧できるというものだ。

■ターナー賞と政権

展覧会の話の前にちょっと補足。

ターナー賞といえば、
最近では、授賞式がテレビ中継され、プレゼンターもマドンナやアニエス.b、デニス・ホッパーが務めるという、日本のアート界では考えられないほど派手なイベントなのだが(そして、翌日の新聞には受賞者のことが大々的に報道される!)、
かつてはギャラリーの隅でひっそり開催されるような賞だった。
そこには、開催者側の対外的なPR努力(そこは、イギリスは非常に優れていると思う)はもちろんのこと、その時々のイギリス政府の文化への思惑があるのだと思う。

ターナー賞が始まった1984年は、サッチャー政権真っただ中。
サッチャー政権時代である80年代は、文化に対して緊縮財政だったこともあってか、
90年にはスポンサーが撤退し、開催がストップする憂き目にもあっている。

しかし、90年代に入り、ニコラス・セロタ館長の元、大きく息を吹き返す。

それを後押ししたのが、(おそらく)97年労働党ブレア首相への政権交代
ブレア政権は国家ブランド戦略として「クール・ブリタニア」を掲げ、
「若くて」「クリエイティブな」イギリスというイメージを国内外にプロモーションしていくツールとして、文化政策に力を入れた。
同時に、サッチャー政権の元、アンダーグラウンドで活躍していたアーティストたちが次々に表舞台にあらわれる。(YBA=Young British Artists)
それに呼応するが如く、当初はすでに名のあるアーティストへの賞だったターナー賞が、だんだんと若きアーティストの登竜門となり、テレビのスポンサーも常時つくようになって、今のスタイルになってきた。

そんな流れを頭においてみると、
20年に渡る受賞作個々にも、”その時代に選ばれた”匂いのようなものが感じられて面白い。

※ちなみに、2001年のテロ以降、イギリスはイスラム世界との対話のツールとして文化を活用するようになってきたというが(パブリック・ディプロマシー=世論外交)、
その片鱗はあまり感じることは、私はできなかったかな?

■ストレートなメッセージと、ストレートなドローイング ”No Woman, No Cry”

さて、実際に作品を観て、私が一番好きだったのは、
まさにクール・ブリタニア真っ盛りの98年受賞作、クリス・オフィリ Chris Ofili による「No Woman, No Cry」。

非常にわかりやすい一枚

nowoman.jpg

クリス・オフィリはターナー賞初の黒人受賞者である。彼はイギリス国籍だが、両親はナイジェリア移民。

この作品は、黒人の少年が射殺されたが、白人容疑者は無罪になったという実際の事件への抗議として作られたものであり、女性の涙には殺害された少年がコラージュされている。
また、一貫して「象のフン」の上に作品を展示し、作品中にも「象のフン」を材料として使うというスタイルをとっており、それは、「西洋にとっては冒涜でも、アフリカでは聖なるもの」を使うことによる問題提議でもある。

しかし、実際にみると、そういう社会的なメッセージという以前に、絵に非常にパワーがある。
力強いドットで描かれた女性に、キラキラしたゴールドのライン、さまざまなコラージュ。

展覧会の最後に上映されていたビデオの中で、

「ペインティングが制作される過程は、ある意味ラップ音楽のようにレイヤーを重ねていくようなものです」

と言っているとおり、そこにはリズムとか音楽が感じられる。

そのわかりやすさがNGな人もいるのかもしれないけど、
私は、このくらいメッセージも描き方もストレートな方が、いいな。

damian.jpg

おそらく、この展覧会で一番有名なのは、ダミアン・ハースト Damien Hirstのホルマリン漬けにされ、縦に分断された牛の親子「Mother and Child Divided 母と子、分断されて」だと思うんだけど、
(ちなみにこれは95年の作品で、彼は上に述べたYoung British Artistsの代表格ですね)
たしかに、ショッキングである意味わかりやすくてガツンとくるんだけど、やっぱりちょっと知的にすぎていてね。100%好みの問題だけど。

■緻密で、悪趣味で、古典的で、倒錯。女装陶芸家グレイソン・ペリー 

その次に気に入ったのは、
2003年受賞、グレイソン・ペリー Grayson Perryによる「ゴールデン・ゴースト」「敏感な子供の苦境」他陶芸作品4点。

goldenghosts.jpgのサムネール画像

一見、鮮やかな技巧を施された壺だが、そこに精緻に描かれるのは、子供の虐待、ドラッグ、暴力、性など。
あまりそういうテーマは好きではないが、その描き方にどこか(ブラック)ファンタジー性とか(ブラック)ユーモアがあるところ、
落ち着いたゴールドやブルーの色調、ドローイング、コラージュ満載の作りが丁寧であることなどから、
見ていて飽きない。

そして、特筆すべきは彼自身。

彼は女装のアーティストであり、「クレア」というキャラクターを持ち、それで写真をとっていたりする。(森村泰昌風??)
授賞式に登場した格好もコレ→(ひいい)


perry.jpg

「女装の陶芸家がターナー賞を受賞する時代がきたわ!!!!」

なんて、えらくテンション高くコメントしていて、
笑えるぐらいイッちゃている。

そうそう、
アーティストってこのぐらいイッちゃってないと(笑)。

■オトナになれば、鑑賞方法も変わる・・・?(笑)

その他、印象に残ったのは、キース・タイソン Keith Tyson(2002年)や、 ギルバート&ジョージ Gilbert and George(1986年)のやっぱりインパクト大のドローイングやフォトモンタージュ、

コンセプト勝負のところでいくと、5秒間電気をつけたり消したりするだけの(笑)マーティン・クリード Martin Creed
(いや、これが実際体験しながら部屋をぐるぐるまわってると新鮮)
たぶん、観る時代によって、感覚って変わっていくんだけど、今はそんな感じでした。

GilbertAndGeorge.jpg

そうそう、
今回は、珍しくオーディオガイドを借りて、ものすごくじっくり館内を回ったんです。
かつて学生の頃は、美術館は基本的にさっさとみて、その中でぴんときたものをじっくりみるタイプで、
オーディオガイドなどめんどくさくてもってのほかだったのだけど、

先日NYで久しぶりに美術展に行って、
情けない話だけど、自分の「ぴんとくる」感覚が中途半端でうろ覚えな経験やら年齢やらで、明らかに衰えているのを感じたんだよねん。

でもその「キレ味のよい感性」って、鈍るのはある程度しかたなくて。

だから、今の私に必要なのは、おそらく作品に深く入ってく「知識」。
それがあるから広がっていく感覚は、若い時にぴんときまくった感覚とはまた違うけど、
こういう鑑賞方法もまた大人の階段のぼっちゃったてことですかね(苦笑)。

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CHANEL MOBILE ARTはすごい

現在開催中のCHANEL MOBILE ARTを観に、代々木へ。

chanelmobileart01.jpg

無料かつ完全予約制のこのイベント、
ファッション誌でもかなりとりあげられていたこともあり、今はチケット完売だそうです。
7月まであるのに
ひー

私は、だいぶ前にお知らせをもらった時に、
「どうせ平日の昼間とか暇やしー」と思って何気なく予約をしていたのだけど、
心の中では、
シャネルが現代アートを集めた、こじゃれたいけすかない(失礼)展覧会なのかなー
ぐらいにしか思っていなかった。というのも、事実です。ハイ

しかし
しかし、

これはものすごい”イベント”だった。
(not 展覧会)

■CHANELをモチーフにした単なる現代アート展・・・?

このイベントの概要を説明すると、

入口で装着されたヘッドフォンから聞こえてくる、女性の声(少ししわがれた、魔女のような・・・たぶんオノ・ヨーコさんではないかとのこと)に導かれて館内を回るというもの。
現代アーティスト20名が、シャネルのキルティングバッグを題材にした作品を提供している。
日本からはアラーキー、束芋、オノ・ヨーコなどかなりメジャーどころ
海外のアーティストは知らない方ばかりだったけど、おそらく錚々たるメンツに違いない。

んが、
しかしそこは現代アートなので、一見したところ
「なんじゃこりゃ?」or「はー、なるほど。おもしろいけど・・・」のものが、正直多い。

これらを展示されていただけでは、
もちろん、話題になっていた可動式建築、その流線型を描く室内での展示への面白さや、
仮設とは思えない立派さ、そして各作品ごとの興味などはあれども、

「普通の展覧会だったな。でもまあ無料だし、すごいよね」

と思ったと思う。

でも、このイベントを「すげー」と思ったのは、
このオーディオガイドのクオリティである。

■”魔女”に導かれている、ロールプレイング的な不思議の国

もちろん、このオーディオガイド、
よく美術館であるような、作品の前に行って番号を押して説明を聞くようなものではない。
(説明なんて一切ない)
展示の最初から最後までをひとつの世界観でまとめあげる、ストーリーテラーの役目を果たしている。

「絶望の中で・・・あなたを待っておりました。」
「立ち上がってください。そして、左へ進んでください」

ちゃんとは覚えてないのでもちろん適当だけど、
こんなふうな始まりで、中へと誘われる。

chanelmobileart02.jpg

「菱形の海。」
「少し、感じていてください」

などなど、作品に応じて、さまざまな言葉が投げかけられる。

そして、

「さあ、そろそろ行きましょう。階段をのぼって」
「もっと奥へ」

と、次の作品に行くタイミングも完全にコントロールされている。
(なので、このイベントを楽しむ時間は誰でも40分だ)

だから・・・展覧会というより、40分の「体験」なのだ。
パンフレットに書いてあった「3D映画」「歩きながら体験する文化的風景」、そんな言葉があてはまる。
あ、なんか、この道を誘われる感じは、ロールプレイング的ともいえるかもしれない。
※立ち上がってください、と言われ、中へ中へと、ゆらゆらと進んでいく感覚は、今は言葉では表せないけど、不思議なものだった。
このあたりの感覚ってなんなんだろう。

■音とセリフで、心がオープンになる

この仕掛けが素晴らしいのは、
もちろん、単なる展覧会ではない、別の体験ができる、ということはもちろんのこと、
「・・・?」で通り過ぎられる可能性も高い現代アートの作品を、
無理なく、その世界に没入させるきっかけを与えているというところだ。

chanelmobileart03.jpg

この「魔女」に手をとられ歩いていることで、
作品たちは「不可解なアート作品」ではなく、「不思議の国にあるオブジェ」のように思える。
不思議の国でそっと井戸の中をのぞきこむような、そんな感覚に襲われるので、
観ること、感じることに心がオープンになっている。

現代アートは、昔は結構観にいったけど(そういう時期ってありますよね)
こんなふうに感じたことは初めての経験だ。
ああ、こういうふうに鑑賞させる手があったのか、と思った。

もらったパンフレット(これがまた、アート写真誌purpleの編集による、ABCの洋書コーナーあたりで買ったらウン千円しそうな豪華なもの!!が無料で来場者全員に!!!)にあった、
シャネルのデザイナー、カール・ラガーフェルドのインタビューを読む限り、
おそらくラガーフェルド氏は現代アート、特に投資とビジネス、社会的地位の対象となった現代アートに
強く不満を感じているし、面白みも感じておらず、
趣味は貴族趣味で(「ヴェルサイユ宮殿が建築の最高傑作」)華やかで美しいものが好き。

だからこそ、逆にこういう発想にいたったのかなあという気もする。

■気になるキュレーターは

FabriceBousteau.jpg

で、
こういうイベントがあると「プロデュースしたのは誰?」というのが気になるワタクシですが、
(今回は、実質的にはラガーフェルド氏プロデュースであり、彼の美意識のようなものがかなり大きかったのではないかと思うけど)
キュレーターは、ファブリス・ブストー Fabrice Bousteauという、アート誌「ボザール」フランス版の編集長。
(写真一番左/真中の女性が建築を担当したザハ・ハディド、一番右はラガーフェルド)

同じく、パンフレットでのインタビューでこんなことを語っている。

まず念頭に置いたのは、ものとしてのアートとか、インスタレーションの展覧会には絶対にしないということです。(中略)
世界の偉大なる文化都市の都市空間に「接続」して、移動することのできる風景を建設しようとしたのです。
人々が入れる、ある種の「心地よい空間」です。そして、鑑賞者を変容させ、彼らの認識や世界観を変えるのです。

おそらく、このイベント自体、そしてオーディオガイドにかなりはっきりした世界観があるので、
20人のアーティストとの、世界観や意識のチューニングは相当苦労したのではないかと思う。
アーティスト一人一人が強烈に「自分」を押しだしてくるわけで、本来ならば20の別々の世界があるはずのところを、ひとつの風景の中にまとめあげるわけだから、ね。

でも、それが上手くまとまっていた手腕が素晴らしいと思った。
おかげで、シャネルすげーインプットが私の中でできてしまったし(笑)。
(以前、シャネルを揶揄するようなエントリーも書いたけど笑←これも、シャネルを揶揄したわけじゃないんだけどね)

■リアルスペースでの”ちょっとしたトリップ”を提供するSoundWalk社

そして、それに一役かったのが、
再三言ってるとおり、「オーディオガイド」である。

それがなければ、決して生み出されなかったであろう世界。
両耳を閉じられることで、まんまとトリップしてしまった私たち。
音楽とセリフの力ってすごい。

soundwalk.jpg

このオーディオガイドはSoundWalk社というところのものらしい。
ステファン・クラスニャンスキ Stephan Crasneansckiという写真家がコンセプトを設計。
(ちなみに、公式サイトに載っているアーティスト写真は彼が撮ったらしい。どれも素敵)
SoundWalk社は今までも、
NYやパリの街を歩く際のオーディオガイド
NYやロンドンのジョギングコースに合わせたオーディオガイド
ルーブル美術館での「ダ・ヴィンチ・コード」の世界に合わせたオーディオガイド
などなどを、やはり個性的な視点で制作しているらしい。

これも、リアルスペースでの音と物語によるちょっとしたトリップが展開されているのか。
こういうのってけっこう好き。
聴いて、歩いてみたいな。

■”創り出す”ことに興味がある人はぜひ・・・

以上、カンジンの作品について、なんにも述べませんでしたが・・・(笑)
まあ、なんかひとつひとつの心に残った作品をうだうだ言うのではなく、全体を感じてみな、
という印象がすごく強いので、まあ、いいや。
(一番好きだったのは、レアンドロ エルリッヒ Leandro Erlichというアルゼンチンのアーティストの作品。
狭い空間で水たまりに街並みが映って・・・ってほら、やっぱり、文字では説明できない。
公式サイトを覗いたら、他のもけっこう惹かれるものがあった。)

LeandroErlich.jpg

とにかく、

現代アート、つまんない、とか、
ラグジュアリーブランドのイベントなんてヤーダヨ、とか

そういう人もぜひ行ってほしい、
そんな、インスパイアに溢れたイベントでした。
幸運にもチケットをゲットされた方は、ぜひ体験されることをオススメしますん

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CHANELのアート活動を調べてみたところ、
他でも地道に行っていて・・・若手音楽家の支援ミニコンサートとか、一度どういう感じが覗きにいってみようかと思ってたり。
別にCHANEL好きじゃないし、企業とアートの関係とかって広く気にしてるんだけど、今年はファッションショーに始まり、なぜか”呼ばれる”なあ。

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カテゴリー: 観に行ったもの | 4件のコメント

ブロードウェイ観劇メモ

忘れないうちに、ブロードウェイミュージカル観劇のことを書いておきます。

今回観たのは『RENT』と『Mary Poppins』『Hairspray』の3本。
メインの目的は、6月1日で終演が決まった(その後延期されて、9月7日終演になったけど)『RENT』。
プラス『Hairspray』のチケットを日本でとっていき、
『Mary Poppins』は、その前日の夜中、ホテルでやってたブロードウェイプログラムで舞台の映像を観て面白そうだったので、当日ゲットしました。

結果、

もはやミュージカル界の「伝説のサブカル」的存在であり、ニューヨークならではの感慨があった『RENT
ロンドンミュージカル的”格”があり、ディズニーならではの豊潤な超一流エンターテイメントMary Poppins
カルト映画出身であり、アメリカンな「人種のるつぼ感」と「文句なしの楽しさ」がある『Hairspray

と、
全然違う、でも全部面白い3本を観ることができた、という感じ。
3本とも比べようがなく、どれも非常によかったです。

以下、簡単に各演目の感想を。

■『RENT』


Rent_broadway01.jpg

5月24日(土)14:00
NEDERLANDER THEATRE J-18

本来であれば、最終週となる週末だけあって、入場から長蛇の列
男女の割合もわりかし均等で、私の隣に座っていたのはファミリー(しかも全員がビッグサイズで席が狭そう・・・笑)。
前列には日本人の女性2人組がきていた。

ブロードウェイの『RENT』は、ここ数年あまりいい評判を聞いていなくて、
終演が発表される直前、今年の1月は稼働率が50%ちょっと、と他の演目と比べてもかなり人が入っていなかったよう。(日本公演も、昨年はよかったけど、一昨年はかなり評判悪かったしね)

たしかに、前も書いたとおり、「デビューの朝、若くして亡くなった作者」という伝説がゆえ、
「オフブロードウェイでの初演時の荒削りさを伝える」ことがすなわち『RENT』の良さだったりもするので、役者の熱だけが肝だったりする。
その熱がないと、セットも貧相だし、アンサンブルの迫力の歌やダンスがあるわけでもなし、
曲も実はクオリティにすごく差があったりして、非常に「危うい」ミュージカルなのだと思う。

というわけで、
実はけっこう心配だったのだが、
今回の公演はとてもよかった!


RENT_broadway02.jpg

お客さんがいっぱい入っているというのもあるのだろうけど、
(もしかして初見の人も多い?と思うほど、お決まりのオチのタイミングでも爆笑が起きてたし)
役者の熱」ということであれば、去年の日本公演よりさらにさらに熱が入っていたように思う。
特に、エンジェルがHIV感染で亡くなった後の、恋人コリンズの熱唱は今まで聞いた中で一番胸に迫る歌だった。
エンジェルも、前半ドラァグクイーンぶりがかなりお茶目ではちゃめちゃにやっていた分、
後半、AIDSによる衰弱ぶりが痛々しく、
ああ、ジョナサン・ラーソン(作者)は、友人をこうやって亡くしていったのだなあ
と思わずにはいられなかった。

そういえば、隣に座ってたファミリーのお母さんは、エンジェルが死ぬあたりからずっと(私ですらちょっとひくぐらい笑)号泣していたな
お母さんの胸にも、何か想いがあったのかもしれない。

そして、やっぱり最後のno day but todayはよかった。
途中がたとえだれるところがあろうとも、すべてチャラにしてしまうパワーのあるラスト。

RENT_broadway03.jpg

おそらくニューヨークのこの場所で観るのは最初で最後だろうけど、観にいけてよかったです。
ほんとはいけないんだけど(いけないって知らずに)開演前の舞台の様子とっちゃいました↓

■『Mary Poppins』


MaryPoppins01.jpg

5月25日(日)13:00
NEW AMSTERDAM THEATRE L-114

今回の大穴が『Mary Poppins』。
いやー、あのディズニー映画のやつでしょ?って感じで全然ノーチェックだったのだけど、
前日にテレビで観た舞台映像がかなりやばかった。
なので、時間的にはちょっと微妙だったのだけど、他の演目に妥協せずトライ。

結果、
ほんとにほんとに
観てよかった!!!!!!

いわゆる「王道のミュージカルの楽しさ」を味わいたいのであれば、
&特に子供と一緒に観るのであれば、
これがちょーーーーオススメ

観終わってからしったのだけど、このミュージカル
ディズニー×キャメロン・マッキントッシュ(ミュージカル界の名プロデューサー)×マシュー・ボーン(振付界のミーハー的鬼才)
というタッグだった。
つまり、(お金のかけ方もおそらく半端ではない)隙のない一級品なわけです。

MaryPoppins02.jpg

主役級の人たちのうまさは(子役を含めて)言うまでもなく、
アンサンブルのプロフェッショナルぶりが、演出・振り付けも含めて素晴らしすぎ。

私は、ミュージカルはとびぬけて上手い人が歌うソロの歌より、”群舞”にこそ迫力と底力があり、感動させる源となると思っているのだけど、
その点ではこのミュージカルの「プロぶり」は満点である。

ディズニー映画でもあった、煙突掃除屋たちの踊る「STEP IN TIME」のタップシーンなど、
一緒に行った友人がとなりで「すげえ」と唸るほど、圧巻。
すごい!を通り越して、気持ちいい(ダンスが合いすぎてて)

そして、舞台セット。
これがとってもユニークで、かつ美しいんです。
(ちなみに、NEW AMSTERDAM THEATREも、ブロードウェイの劇場には珍しく凝ってて綺麗)
トラディショナルな2階だての家の中、
英国風な曇り空、さまざまな彫刻がならぶ公園(その彫刻たちが途中で動き出す!なんと人間がやってました・・・)、
少し奇抜にデザインされた銀行、、、
文章で表現できなくて、ほんと「観て!」という感じなんだけど、
洗練」という言葉がぴったりの舞台セットで、それを観ているだけでも楽しい。

MaryPoppins03.jpg

そして最後は、
(あ、軽くネタバレになるのかな?スミマセン)
Mary Poppinsは傘を開いて、イメージそのままに客席を上方へ上方へあがっていき、
天井へ消えていく。
(2階席、3階席をなめるように上にあがっていくので、そのたびに客席で大歓声があがる笑)

Mary Poppinsはお話自体が魔法の世界だけど、
本当に、魔法をかけられたかのような舞台なのだ。

印象的だったのは、
やっぱり子供連れが多かったんだけど
子供たちが全然騒がず集中していたこと。
(第二幕目の途中、一度赤ちゃんが泣いただけ)

子供たちは、ちゃんとわかっているのだ。

■『Hairspray』


hairspray01.jpg

5月25日(日)18:30
NEIL SIMON THEATRE K-104

カルト映画のミュージカル化って、どんなふうになるん?
しかも、ヒロインはおデブだしヒロインの母ちゃんはこれまたビッグサイズの男性が女装で演じてるし、背景には黒人差別問題もあるって???

と思いきや、
これが、けしてカルトミュージカルではなく
びっくりするぐらい爽快で楽しくて、でもメッセージ性もあり、
元のカルト映画の監督(ジョン・ウォーターズ John Waters)も認める一大エンターテイメントになっているという不思議。
これが『Hairspray』。

昨年、ミュージカル映画化され、ジョン・トラボルタが女装してヒロインの母親を演じることでも話題になってたアレです。

このミュージカル映画もとても面白いし思うこともあるので、内容も含めいつか別途書きたいと思っているのだけど、かいつまんでストーリーを書くと・・・

hairspray03.jpg

舞台は60年代、ビートルズが出てくる少し前のアメリカ・ボルチモア。
ヒロインは、ダンスが大好きで天真爛漫?天然?なおデブ高校生トレーシー。

トレーシーが、大好きなダンス番組「コーニー・コリンズ・ショー」に出場し、番組のアイドルであるリンクのハートをつかんで、「ミス・ヘアスプレー」になるまでを描いた、一見「ハイスクールもの」なのだけど、横軸としてからんでくるのが、黒人差別問題。

この頃、まだ黒人はあからさまな差別を受けており、
「コーニー・コリンズ・ショー」でも、黒人は白人と踊ることは許されず、月1回の「ニグロディ」で踊るしかなかったうえに、その1回のチャンスすら撤廃される危機に陥る。
黒人のシーウィードたちのダンスが「クール!」と思ったトレーシーは、シーウィードの肝っ玉母ちゃんたちとともに差別反対デモを行うが、警察につかまってしまい・・・
といったストーリーが展開する。

最後は、「Child, yesterday is history」「tomorrow is a brand new day」と、
ブラックもホワイトもおデブもヤセもいっしょくたで、踊りまくって終わるのだけど、
なんというか、
「ただ夢みたいな話にしてるだけ」というのではなく、
ものすごくハッピーで、ちょっとじんとくる話になっている。(うむ、いつかまたこのことは改めて書きます)

hairspray02.jpg

このミュージカルは、舞台セットとかは、はっきりいってへもい。
でも、テーマがそうだから、というのもあるけど、
ブラック&ホワイトな歌とダンスが存分に堪能できるのと、
多少英語がわからなくても爆笑できる面白さが、『Mary Poppins』とは違った”超一級エンターテイメント観てるぞ!”という気分にさせてくれる。
最後は、観客もノリノリで歌って踊って終了

やっぱりミュージカルって、心の底から楽しくなくっちゃね!!と思わせながら、
けして”浅くない”、このバランスがこのミュージカルの凄さ。
(たぶんそれは、もともとの映画の「マイノリティへの視線」と「ユーモア」が、すごく大事にされているからなんだろうな、と思う。)

こういう話を、損なうことなく、誰がみても楽しいステージにするの力量とかノウハウとかってすごい。
まあ、なんのかのといってるけど、観てるときはほんと笑いの連続、最後は夢中でスタンディングオベーションしてました(笑)。

■総じていうと

以上、各演目の印象というか感想でした。

全体的なこと言うと、
ブロードウェイの劇場はどれも舞台と客席が近く、
3本ともかなり近くで、役者さんの表情まではっきりと見える場所で観ることができた。
それだからこそ、わかる面白さとか良さがあるなあ、と今回改めて思った。
こうしてみると、日本の劇場はやはり遠い気がするし、
表情をみることができるほどいい席をとることはほんとに難しい。

またぜひ来たい、と思ったと同時に、
やっぱり、もっともっと日本でもこのくらい楽しめるようになればいいなあ、と心から思った。

なにせ、やっぱりミュージカルは圧倒的にお金と人力がかかってるエンターテイメントで、本当に楽しく、心に響く。

そういった経験は、多くの人に、あればあるほどいいのだ。

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