中東がオレ様を呼んでるぜ。

#本日のインスピレーション:トルコ料理♪#

仕事帰り、ゆげゆげとaskaと、ゆげゆげおすすめのトルコ料理「アンカラ」に行ったのだが、

トルコ料理って!

あたし、だいぶと昔に、神楽坂のトルコ料理やにいったことがあるのだけど、

そのときは特に印象なくて、以来特に行ったこともなかったのだけど・・・

トルコ料理って!!

あたしのための料理っ!!!(笑)

あたしは「どろどろ」とか「ペースト」とか「ねっとり」が好きなのである。

「ペーストの海でおぼれたい!」と叫んでしまうぐらい好き。

あぼがど、おおとろ、たらも、ゆっけ、ふぉあぐら、りぞっと、ればーぺーすと、まっしゅぽてと・・・

そういうやつ。

するとなんですか。

トルコ料理って、ペーストじゃん。どろどろじゃん。ついでに肉じゃん。

HEAVEN!!

と、前菜の盛り合わせを見た瞬間思ったデスヨ。

ちなみに。最近のあたしは、この間も書いたけど、中東近辺になぜかひきよせられていて、

まずは砂漠ブーム(中東じゃなくてもいいんだけど)がきてること。

最近、目にするもの目にするもの、砂漠がなんかリンクしてて、

ついには、何気なくテレビをつけたら、

ちょうど、「トップランナー」で宇多田ヒカルが「砂漠好きなんです!」なんていってるところで、

「おまえもか!おまえもか!」なんて(笑)、意味のない興奮をしたり(笑)。

あと、先日知人のやってるパーティに行った時に知り合いになったオーストラリア人の女性、

あら素敵な方だな、なんて思ってたら、ベリーダンスの先生だったりして、

しかも、ちょうど最近のワタクシ、なんか体動したいという欲求があって、ストイックなの苦手だからダンスでもすっかね、と思ってたところだったりして、で、やるなら、バリ舞踊かベリーダンスかな?とか思ってて!

なんで、今度、その女性の体験レッスンに行く予定だったりします。

そんなところへ、この、あたしの好みを知りつくしかのようなこの料理!

中東がオレを呼んでいるーーーーー!!!

というわけで、やにわにトルコ料理ブームがきてしまいました。

ここ最近ずっと、あたしの中の各国料理ナンバーワンはメキシコ料理だったのだけど、

勢力図が変わるかも?

とりあえず、帰宅後、トルコ料理コミュニティ、はいっときました(笑)♪

トルコ、エジプトの旅調べたりね。

ま、ひとまずは、これからしばらく、東京トルコ料理行脚したいと思います。うふふ

もちろんBGMは「とんでイスタンブール」で。(歳が・・・)

にしても、

なんか、引き寄せる時期ってありますね。

そういうのに翻弄されるのって、たのしいわ♪

Belly Dance Your Way to Your Soul Mate

Belly Dance Your Way to Your Soul Mate

  • 発売日: 2003/10/21
  • メディア: DVD

トルコの幸せな食卓

トルコの幸せな食卓

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言葉は物事を規定する。良くも悪くも。

#本日のインスピレーション:バーチャリアラー!?#

※画像と本文は関係ありません。笑

先日、代理店の方と打ち合わせをしている時に「バーチャリアラー」という言葉が話題になりました。

バーチャリアラー!? なんだそのネーミング!ぎゃはははははは!!

という、ツッコミはおいといてですね。

ワタクシ、不勉強なことにバーチャリアラーという言葉をそれまでシリマセンでした。

なので、その代理店の方に教えていただいたうえで、ネットでもいろいろ調べてみましたが、まあこういうことだそうです。

ネットを活性化させるのはバーチャリアラー?–Web2.0考えるJANES-Way

つまりは、

「リアルのコミュニティAとBがあって。それが普通つながんないんだけど、SNSができてつながるんだよね?

そのAとBのハブとなる人がバーチャリアラー。で、リアルの関係が活発で濃い人のほうが、ネットでもそういう役割をはたすんだよね。

てわけで、これから、バーチャリアラー大事」

ということ、、、だと思います。

で、だからなに?そこからどうしよう?どうしていけばいいだろう?というのは、

自分の中でも、まだ全然わからないのですが・・・。

Web関係とか、最近激しいですが、

こういう「新語」がどんどんでてきて、どんどん一人歩きして、

さもありなん、な、めくらましになってしまうことってよくありますよね。

最近の代表格は「Web2.0」でしょう。

(あ、余談だけど、Web2.0提唱者オライリー氏が、「Web2.0は商標!だからイベントとかで使っちゃダメダメ!」って言って批判くらってるみたいですね。)

猫も杓子もWeb2.0、会議中もよく聞かれるのですが、

実際それによって、「全然新しくない(中身ない)のにあたらしっぽい」ように思わせてしまうし、

なによりこわいのが、

「都合のよい言葉が与えられた瞬間、思考をストップさせてしまう」

というところだと思います。

あたしは天邪鬼ですので、

流行の言葉や、仕事のそれっぽい言葉、英語とかは、極力使わないようにしています。

日本語でいうこと。できるだけ平易な言葉でいうこと。

もちろん、仕事上、基本的な用語は使わないとやってられないところ、っていうのはヤマとありますが、

こういう「あいまいなものに与えられた、使い勝手のいい言葉」「都合悪いところを隠蔽してしまう言葉」、

というのは、使わないこと、かわりの言葉を探すが、自分のトレーニングになっている気がします。

(たとえば「web2.0的」ってどういうこと?とか「ロングテール」ってだから結局何?とか)

で、これって、仕事だけじゃなくて、いろんな状況においても同じで、

「よく考えなくちゃいけなくて、でもあんまり直視したくなくて、言葉を与えられてほっとして、思考をやめる」

って、けっこうあると思うんですよね・・・自戒をこめて。

たとえば「ニート」とかってのも、ある意味ではそうかもしれない。

言葉は「そこここに転がってるけど、よくわかってない概念」に姿をあげる(いい小説とかってそういうのの宝庫ですよね)、それがあるがために、他人と共有できるという素晴らしい力があるわけだけど、

それって諸刃の刃だなーって。

まー、言葉は思考をより発展させていくためにあるわけであって、

それを盾に逆に思考をストップするような使い方は、してあげたくないな、なんてことを思いました。

だいぶ、話がそれましたが(笑)。

コトバの「意味づけ論」―日常言語の生の営み

コトバの「意味づけ論」―日常言語の生の営み

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いいこと、いいものは、できるだけ多くの人が享受できればいい。

#過去のインスピレーション:金持ち父さん貧乏父さん#

http://media.excite.co.jp/book/daily/tuesday/026/images/book1.jpg

電車の中で考え事をしていて、ふと思い出したので備忘。

1年前ぐらいによく考えていて、近しい人には何回か言った話ですが。

あたしは「金持ち父さん貧乏父さん」の考えがあまり好きではありません。

でも「ユダヤ人大富豪の教え」は好きです。

なんでだろう?といろいろ考えてた時期があって、

まあ、いろいろと理由は見つかったんだけど、

とにかく、一番大きかったのは、友人のこの一言でした。

「これって、みんなが金持ち父さんになったら、成り立たないんだよね」

「みんなが不労所得を目指して、そちら側になったら、まわす金の元々を生み出す人がいなくなっちゃうんだよね。

だから、勤労所得の人は必要なんだよ」

あの話の弱点(?)は、「ラットレース」と呼ばれる人たちがいてはじめて「金持ち父さん」が成り立つところではないかと思います。

みんなが金持ち父さんになっちゃったらどうする?

誰もあくせく働いてくれる人がいません。だから、金持ち父さんは成り立たない。

つまり、みんなが金持ち父さんになっちゃいかんわけです。

ということは、世界全員の人に「金持ち父さん」を薦められないし、みんながせーので「金持ち父さん」を目指すことはできないのです。

そういう考えが根本にあるものって、いくら啓蒙したとしてもそこには欺瞞があるのではないかな、と。

逆に、「ユダヤ人」の本が好きなのは、

「全員ユダヤ人大富豪な生き方を目指したら、幸福だろうな!」

って、あたしは思うから。

この考えが正しい、とは思わないし、

つまりはあたしの「好み」です。

なんでわざわざ思い出して書いたかというと、

この「好み」の根底にあるのは、

「いいこと、いいものは、できるだけ多くの人が享受できればいい。できるだけ多くの人に享受してほしいと思う」

ていう、あたしの考えで、

それが、すべてのあたしの好み、考えの「根っこ」にあるような気が本当に最近よくするんです。

この話を電車の中で思い出したのも、

仕事のことを考えているうちに、↑の考えに行き着いたから。

で、そこにこだわっていくことは、自分にとって、あたしが気持ちよく生きて、気持ちよく社会にコミットしていくうえで重要だなーと思い、

備忘してみました。

ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫)

ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫)

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あたしがはてなダイアリーをはじめたわけ

#本日のインスピレーション:はてな#

screenshot

このブログは「はてなダイアリー」のシステムを使ってます。

実は、このブログを立ち上げた理由のひとつに、「はてな」を使ってみたかったから、というのがあります。

「はてな」っておもしろいよね・・・と、もう何年も前から言われていて、

あたしも話を聞いて、「たしかにユニークだね」と思っていながら、ずっと触ることはありませんでした。

が、先日、きっかけは仕事がらみで、「はてな」サービスをひとつひとつ触ってみて、

ここへきていまさらながら「おお、おもしろいかも・・・」と思って。

今ブログサービスというのは腐るほどあって、

容量であったり、デザインであったり、写メールとの連動だったり、アフィリエイトだったり・・・

まあ各社さまざま「おらのところ使ってくれくれ」と趣向を凝らしているのだけど、

そのどれもが、乱暴にいえば”「ブログ」という単体をいかにデコラテブにしていくか、その結果ユーザーに選んでもらうか”というところに注力しているような気がします。

でも、「はてな」が面白いな、と思ったのは、

たとえば「はてなダイアリー」は、「はてなダイアリー」単体で考えられているのではなく、

他の「はてな」サービスとの目に見える連動、それだけでなくむしろ、

目に見えない、生活シーンの中でPCを使った知の増殖(?)ツールのひとつとしてとらえらているというか、

なんか、そんな思想をばりばりと感じて、これはおもろいな、と。

サービスの連動+ユーザー同士での情報公開、共有の視覚化

といったところかしら。

ただし、ちょっとWebの概念とかHTMLタグとか慣れていない人にとっては、特にダイアリーはちょっと敷居が高いように思うんですが、

そこもむしろ、ある意味「はてならしさ」をそこにいるユーザーこみで醸し出している理由かな、とも思います。

(そこんとこは、今後はてながどっち方面にいくのか、興味のあるところでもあります)

で、おもろいなあーと思ったその夜、「『へんな会社』のつくり方」という本を買って帰りました。

これは、はてな社長の近藤淳也氏(あたしより1歳下!)がCNETで連載してたものをまとめたものなんですが、

それを一晩で読んで、ある意味衝撃を受けました。

その本の中に、飽きるほど書かれていますが、

近藤社長は学生の頃に、

「”なんかおかしいな、でたらめだな”って思うことの裏には、”権威”と”情報の隠蔽”がある!」と気づいたといいます。

(例で出ているのは、「なんで制服を着なくちゃいけないのか?」)

で、地味にすごいな、と思うのは、

そこで生まれた「権威」と「情報の隠蔽」への嫌悪感と、それを「少なくとも自分はやめたい」という想いを貫き続けた結果が、

「はてな」の誕生であり、「はてな」社長となっている今であるということ。

「権威」と「情報の隠蔽」への嫌悪感、この手のことは、誰でも思う時期があるし、

そういうのがキライだ!という人もいっぱいいる(あたしもそうです。かなり強いと思う)と思うけど、

それが、今の自分の仕事、人生にここまですとんとつなげているのは、すごいな、と。

そこにあるのは、梅田望夫氏もかかれてましたが、「不特定多数無限大を信頼する心」と「未来への楽観主義」の強い信念、なのかな・・・。

近藤氏は、この本の中で、

「人間の意識と意識が距離や時間を越えてつながったときに何ができるのか」がインターネットだ、と言っていて、

それはまさに個人的にもテーマであり、インターネットをずっと仕事の軸のひとつとしている理由なのですが、

同じ感覚をもった同世代が、こんな強い信念で行動に結び付けているのが、非常に刺激的でありました。

ちなみに、この本で「はてながやってることで悪だな、って思って悩んでいることは、電力をものすごく使っていること。

だから風力ではてなを動かすようにしたい」というようなことを言っているんですが、

この本を読んだ、ちょうどその夜(ほんと、ビンゴにこの夜!)、こんな発表がされました。

はてな – グリーン電力化への取り組み

これは使ってみるしか、と思い。

6/18からこのブログを立ち上げるにあいなったわけですた。

さて、さきほども引き合いにだした梅田望夫さんですが、最近のインタビューでこんなことを言われてます。

「これから難しい問題が起きてくる。この難しい問題というのは、グーグルの抱えている正の部分、負の部分も含まれるけれど、もっとネット全体として、善悪もすべて飲み込んだ世界なんだから、これからネットの世界に新しい秩序をつくっていくには大変な難題がこれからあります」

「その難題を乗り切るという行為をする人たちを出さなければならないでしょ。そのためにはオプティミズムで、その人たちを奨励しなければいけないでしょ」

あたしも、これにとても共感します。

という意味で、「はてな」というユニークな思想の会社は、今後どのような影響が出てくるのか、それがいいのかどうかもわからない。

でも、一本のわかりやすい信念のもと、それをやっている、それは応援するサイドであたしはいたい。

とかいいながら、まだ、はてなダイアリー、はてなブックマーク、はてなRRS、はてなフォトライフしか自分では使えてないだけどね。もうちょっと使いこなしたいのだけど、ちょっとおっついてない感あり。

でも、やはり、特にはてなブックマークはほんと便利で、ミクシィコミュと同様、ひまつぶしにも最適で(笑)、

おすすめです。

あっ、サービス自体何がおもしろいか、とか使い方とか全然かけなかったな・・・笑

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

「へんな会社」のつくり方 (NT2X)

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実は分岐っぽかった、マドンナライブ

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#本日のインスピレーション:マドンナライブ!#

本日は個人的回顧録。

マドンナが13年ぶりに来日ライブをやるんですわ。

てなことは知ってましたが、特に自分でどうこうしようとは思ってなかったんだけど、

知人の知人より余ったチケットを譲ってもらいまして!

というわけで、行くことになりました、9月20日(水)@東京ドーム!

マドンナと言えば、あたしが小学生の頃、洋楽を聞き始めた時にちょうど「マテリアルガール」が流行ってて、

なんつうかいつまでたってもそのイメージで、特に追いかけることはなかったんだけど、

実は13年前の来日ライブにも、当時大学生のあたし、行ってます。

当時は、(なぜか)大小問わず、バイト代をすべてライブに費やしてた時で、

いわゆる「大物来日もの」も「一生のうちもう観られないかもしれない」という意味不明の理由で足しげく通ってた(まあ、単にミーハーなんですが)時代でありました。

その流れでマダーナも行ったわけだけど。

今回、マドンナのライブに行くことになって、当時を思い出したんだけど、

いまさらだけど、13年前のあのライブは、実は「分岐」のきっかけを作っていた、らしい。

というのも、

マダーナのライブにいったのは、忘れもしない大学1年の冬(たぶん)。

なぜ覚えているかというと、

うちの大学は、2年になってから専攻が分かれるため、

ちょうどその頃、専攻の希望を聞かれてた時だったから。

もともと大学へは心理学専攻希望で入ったあたしだったのだけど、

うちの大学の心理学が実験中心の生物心理学だったため、

なんか、ちゃうなー。と。

で、なんだっけな?人間科学、みたいな学際ぽい専攻があって、第一希望はそこかいな、

第二希望で、なんとなく適当に(ほんと適当に)、イメージで(笑)美学美術史学にすっぺかな。

など、おぼろげーに思っていました。

そんな時期、マドンナのライブへ行ったんですが。

これが、当時のあたしにとって、歌、とか、マドンナ、とかそういうことじゃなくて、

もうなんというか「ステージ」が大衝撃だったのです。

そこにあるのはもろ「ショービジネスのプロの塊」であり「歌知ってる知らないとか、ファンかどうかなんて関係なく、ここにいる一人残らず楽しませるのよ!」という執念(笑)。

いわゆるビッグな外タレでも日本でのライブとなるといろいろで、

明らかに手をぬいて10曲ぐらいさらっとやって終わるような人も実はけっこういるなか、

(もちろん、歌で楽しませてくれる人も多いですけどね)

マドンナのライブは一線を画しており。

「なんだ、この楽しいの!なに、このド派手(笑)!」

と、我を忘れて二階席からきゃあきゃあ言いながら踊りまくったのを今でも覚えている。

で、あたしはそこで、「ステージ」というものに対して、めっぽう魅せられまして、

や、もっといえば、「あたしってステージとか映画とか音楽とか、もうそういうものがひっくるめて大好きだった!」ということを思い出させられまして、

それで、今考えれば、勘違いも甚だしいのだけど(笑)、「舞台・映画・音楽」すべての授業がある美学美術史学に

「一発逆転で」(←当時、こう思った)いったんですな。

そして、美学美術史学に行ったことは、あたしにとって、それこそ人生の大分岐のひとつで。

ここで出会ったすべてのこと、それはもう、バリ舞踊からアルトー、ベジャール、寺山修司そしてヒッチコックまで(笑)、

あと、専攻にいた相当キレた(だめな)人たちやら、劇場のアルバイトで得たものすごい「価値観のゆさぶり」とか、

この専攻にいったからあたしができた!あのとき違う道をいっていたら、どういう自分だったかわからない!といってもいいぐらい、影響力がありました。

で、もちろん、こっちでよかったな、って思ってるわけで。

とゆーわけで、マドンナのライブのなんだかよくわからない瞬間最大風速系の衝撃、というのは、

以降、思い出すこともなかったのだけど(だから瞬間最大風速系)、なんか、実は自分の人生を支配しとるなあ、なんてあらためて思ったわけでした。

ちなみに、大学時代、さまざまな紆余曲折、それこそ小難しいゴダールを池袋でたった一人で朝から見てううむ、なんて言う、

相当いけすかない美学生もどきを経た結果、

最終的にあたしは「”アート”とかって頭抱えてるんじゃなくて、ほんとの解放はエンタテイメントなんだよ!」

(エンタテイメント、なんて言葉は使ってないけど、そんなふうにいえなくもない)というふざけた「アンチアート」卒論をかなり真剣に書いて、卒業をいたしました。

結局はアートではなくて(そちらもすきですが)、

完全なプロ根性に支えられたエンターテイメントが好き。

(関係ないけど、「パイレーツ・オブ・カリビアン」新作のディズニーワールドでの試写会の様子とか、テレビで見てるだけで血が騒ぎます笑)

もしくは、わけもなく踊ってしまうような太古のダンス&ミュージック(笑)が好き。

そゆうことに戻っていったあたり、

やはり、きっかけはマドンナライブ!なあたしらしく、あたしの限界であったな(笑)。と思ったりいたします。

つーわけで、「世界中をダンスフロアにするわ!」と宣言されておられる今回のライブもやにわに楽しみ。

さっそくLAでやった初日のセットリストをみたんだけど、見事に昔の曲数曲と「Hung Up」しかわからん・・・

ちょっと予習していくけど、そんなんなくてもひたすら楽しめるのが彼女の「ショー」なんですな。

コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア

コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア

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境界で。そしてそれを越えて。

#本日のインスピレーション:とある、ブログより#

一時期あまり余裕がなかったのですが、最近はまた、暇なときは、

いろんな人のブログに遊びにいくようになりました。

ほんと、面白いことやいいこと書く人っていますよね・・・。

というわけで、先週、一番「いいなーっ」と思った一言を無断ですが転載。

ソーシャルブックマークやRSSリーダーなんかを使って情報収集するより、

「カーテンを開いて、静かな木漏れ陽のやさしさに包まれ」たほうがよっぽど情報収集の効率はよさそうですね。

これ、読んだ瞬間、「ああ、そうだなあ・・・」って、すごくつかまれました。

しかも、ただ単に「けっ、べらんめえ。ネットで便利にならんでいいわっ!」というのではなくて、

この方自身が、ソーシャルブックマークやRSSリーダーもバリバリに使いこなして、かなり「ITな方」であることに、

余計好感と共感を持ちます。

(そおじゃなかったら、むしろいやな発言だったかも(笑))

そしてこんなことも書いてらっしゃるのですが、

「やさしさ」への感度の低下は、感度そのものを起動させるインフラの弱体化が原因ではないでしょうか?

ちょっと、文脈としては違う意味なんだけど、

あたしは、「やさしさへの感度をあげるインフラ」という言葉がすっと浮かび上がって、

なんか、そういう立ち位置が自分のいたい位置なんだよなあ、と思ったり。

つまり、

「カーテンを開いて~」のほうが最終的には豊かな情報がくる、とわかっているうえで、

ちゃんと便利な技術も使えて、

なおかつ、その技術が、「カーテンを開いて~」をより豊かにするような。

なんか、独り言のような自己満足な文章だけど、

あたしは自分で常に「際」や「境界」や「境目」にいることをよしとしてるところがあって、

自分は仕事的には、これからもずっと「IT」なり「マーケ」に所属するわけですが、

「IT」や「マーケ」の際、もしくは「IT」「マーケ」と一見真反対にあるような、「プリミティブなもの」の境目、

こういう立ち位置に立ち続けていたいなあ、と思うわけでした。

上記ブログ全文はこちら

ちなみに、こんなことを考えていたところ、「おおまさに、シンクロニシティ!」と思う知人の日記があって。

嬉しくてつい上記のようなことをコメントしたところ、

「たぶん、情報ソース一緒ですねー♪」と言われた(笑)。

その彼も、「デジタル」と「古風な気質」を”技術”と”ヒューマン”で結びつけようとしている、

ある意味同志であるなあ、と嬉しくなりました。

Super Best Of Yumi Arai

Super Best Of Yumi Arai

境界で。そしてそれを越えて。http://artsmarketing.jp/wp-includes/images/crystal/default.png*arts marketing.jp
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”「広告は商品を売らない!」と決めることから始まる。”

#本日のインスピレーション:梶祐輔「広告の迷走」

梶祐輔さん、この方、広告業界ではかなり重鎮のよう。

テレビが登場する前、新聞広告が隆盛を極めていた頃から業界にいらっしゃったようなので。

というわけで、2001年初版かつ新聞広告に偏重しすぎてて、雑誌やラジオ、いわんやインターネットには全然言及されてないけど、

「おじいちゃん(すみません)が若者を叱咤!」というような、いい意味で広告への愛(と危惧)にあふれた本。

でもそれ以上に、さすが、日本の広告業界と広告主の現場、歴史を長らく見ていた方だけあって、

「広告」というものに対する認識や、業務の中で「あたりまえ」と思っていることへの鋭い疑問のなげかげは、

ううむ、なるほど!と思わせるものが多く、自分としても、非常に示唆のある本だった。

彼が、この本を通して言いたいのは、

「アドバタイジングは商品を売るためのものではない。プロモーションとアドバタイジングは違う。

プロモーションは商品を売るための短期的戦術。

アドバタイジングは、それの前提としてある”企業思想””トップの想い”を伝え、長期間のコミュニケーションを実現するもの。

プロモーションとアドバタイジングのバランスが、世界的に体力のある企業を作る」

というようなこと。

こうやって結論だけ文章にすると、「そんなこと、わかってるよ」的なことのようにも聞こえるけど、

本文では、今の広告代理店と広告主の関係や、そこで何気なく交わされている会話など、

こういう職種についている人たちが「あたりまえに思っていること」を具体例として出しながら、

そこに潜んでいる「あまりに商品うらんかな、に偏重しすぎたアドバタイジング。成熟していない広告戦略。」というのを浮き彫りにしているため、

「いやーーーー、まったくそのとおりで。」と、少なくともあたしは、頭を垂れずにはいられなかった。

この広大な社会での、自分たちの立ち位置、

そこからどうやって社会と責任あるコミュニケーションをとり、社会に貢献していくのか、

それがない企業(そしてたぶん、個人も)は、早晩つぶれる、くるしい。と、あたしも常々思う。

それを、「思想」「哲学」「ビジョン」とかっていっちゃうと、

なんか胡散臭いし、表面上な感じがかえってしてしまって、あまり使いたくはないのだけど、

まあ、そういうこと。

(この本の中でも、マーケティング活動の本質は

「わずか一点のニッチの発見=市場の中の十分が安住できる、わずか一点の場所を発見すること」

ということを古典を引用して語っていたが、あたし個人も「思想」とか「ビジョン」とかいうより「立ち位置」という表現が好きだ。そういえば。)

だから、使い捨てのように商品を喧伝して、刺激を与えまくって、そこの畑を焼き尽くして、また次にいって、

というのはもうやめにして、

そういう本来の「企業 対 コンシューマー」のコミュニケーションのような活動が絶対必要なんだ、

それが、なんらかの形で広告に携わるものの役割なんだ、というのは、非常に賛同する。

でも。ここから発展して、

あたしはいつも自分の中の課題として思うのだけど、

その「立ち位置の表明」を、広告活動として行っていくには、一体、いくらコストがかかるのだろう?

4つのマス+ネットを適正に使い、「アドバタイジング(+プロモーション)」をしていくには、

いったい年間でいくらの予算を申請しなければいけないのだろう。

これは、自分が、本当にお金のない創始の時から今の会社でマーケティング業務をしていたから、余計思うんだけど、

みんな、どんな経営者だって、マーケティングにコストをかけなくちゃいけないのは、頭ではわかってる。

でも、広告料金というのは、最近はネットだって、高い。

どこかの資金で作られた、というのではなく、志だけで創業したベンチャーにとって、広告というのは本当に高い。

特にテレビは理不尽に高い。

というわけで、そこにえは企業サイズにあったマーケ予算の中での、効率的なメディアプランニングが必要になってくると思うのだけど、

小規模の予算でのマーケティングをする場合、

「長期的コミュニケーション+短期販売促進」

という仕組みを適正サイズで行う、というのではなく、

まず「長期的コミュニケーション」を削除。その後、短期販売促進に限りなく「売り上げをアップさせるための」効率を求める。

という形に、必ずといっていいほどなっていくと思う。

それの打開策として、

「長期的コミュニケーションはひとまずはPRのみでコスト0でやっていきましょう」

というような流れもあるのだけど、

PRがどう、という話は、ここではいったんおいておいて、

つまり、あたしがつきつめたいこと、課題は、

「資本体力がないところの”長期コミュニケーション(言われすぎてて使いたくないけど、わかりやすくいえば、ブランドづくり)”はどうやっていけばいいか。

どのくらいの予算で、どのような媒体を使って、どのようにメッセージを発信していけばいいのか」

というところ。

そして、それをつきつめていくことで、

中小企業やベンチャー企業だけでなく、

もっと小さなユニット、個人、そんな資本はないけど無数に転がっている「想い」を、

いろいろな人に伝え、コミュニケーションを促進させる、そんなお手伝いができればよいなあ、と思っておったりします。

なんかね、基本的にあたし、「とはいえ、資本のあるところが勝利に近い」という構図が、キライなんだわ(笑)。

こんだけネットが広がって、「表現者の垣根がとれていった」なんていわれているのだから、

「マーケティングの垣根」もとりたいな、なんて思う今日この頃なんです。

というわけで、うーむ、なんか、熱く語ってしまった。。。

ちなみに、下の画像は、最近話題の「アメリカンアパレル」の広告。

Made in LA Downtownを打ち出し、不当な低賃金で発展途上国に”作らせた”ものを売るのではなく、

ダウンタウンにある自分たちの工場で作ってうりまーす!というミッションで有名だけど、

広告も、モデルは社員、カメラマンは社長でやってるらしい。^^

LAにある「小さな志」ということでちょっとメモ。

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広告の迷走―企業価値を高める広告クリエイティブを求めて

広告の迷走―企業価値を高める広告クリエイティブを求めて

”「広告は商品を売らない!」と決めることから始まる。”http://artsmarketing.jp/wp-includes/images/crystal/default.png*arts marketing.jp
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これぞ、流行歌(笑)?

#本日のインスピレーション:ミクシィ「音楽がないと生きていけない」コミュ#

やー、本日は超くだらないんだけど、大笑いした小ネタ。

ミクシィの「音楽がないと生きていけない」コミュに最近、

「さすがにちょっと聞き飽きたかな、って歌詞」というトピができたんだけど、

そこが、プチもりあがりを見せてます。

基本は、「君がいたあの日とかって聞き飽きましたよね~」「”桜”にはあきました」とか、

そういう1フレーズを書き込んでいくトピなんだけど、

あるユーザーが、それをつなげて歌詞を書き、

また別のユーザーが、新しいトピに出てきた言葉をつなげて歌詞を書き・・・

としているうちに、

最初につなげた歌詞を発表した方が、

曲までつけて完成させてしまった(笑)。

======================

いつも前髪を気にしてた rainy day

君と過ごしたあの季節

愛という名の時計の針は もう動かなくて

いつも2人 一緒に歩いてた night & day

離れて初めて気付いたよ

願い叶うならばもう一度 その手を繋いで

僕は 君がいたあの日あの季節を 胸に抱いて歌うんだ

everything is 前へ

今は届く事だけ願って

会いたくて 会えなくて 会いたくて

それでも雨は降り続く

きっと僕たちは桜のように散り行く運命だったのかな

淋しくて 見上げてもまだ 空も曖昧で

虹はいつか架かるのかな…

きっと君には また新しい桜が咲くのだろう

僕は 君がいたあの日あの季節を 胸に抱いて歌うんだ

everything is 前へ 進むんだ

等身大の君でいい 等身大の僕でいい  

everything’s gonna be alright

=========================

曲はここからダウンロードできます(笑)。

http://uploader.system-witch.com/

※DL方法

CONTENTSのUpLoaderをクリック。

「File View」の「File ID」の欄に「21」といれて検索すると、下に「21」のリストがでてくるので、

そのリストの「21」をクリックする。

次のページにて、Down Key 【kikiakita】を入力すると、DL開始。

保存時に、拡張子「.mp3」をつけて保存すること。

いやー、あほくさくて最高(笑)。

しかも、この方、熱唱されてて上手いから、「まじでこんな歌あるよ・・・」と思ってしまいました。

今までも、ネット上ではこの手のネタコンテンツが山ほど作り出されてるけど、

こういう「”バカ””おもしろ”(もしくは”好き”)への、ボランティアな労力」を見ることが、個人的には大好きです(笑)。

「さすがにちょっと聞き飽きたかな、って歌詞」

これぞ、流行歌(笑)?http://artsmarketing.jp/wp-includes/images/crystal/default.png*arts marketing.jp
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迷いの中。迷いの後

#本日のインスピレーション:askaとのしっぽり飲み#

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本日は日記として。

夜、修士論文作成中のaskaさんと飲みに。

彼女が今研究している「女性総合職のおかれている現状に関して」(といった感じだと思う。あってるかな?)に関して、

ざっくらばらんに話をしよう、という主旨。

いろいろとおもろい話を話したんだけど、

個人的に心に残ったこと。

askaとは長年のつきあいだが、昨日初めてわかった、彼女とあたしの決定的な違いがあって、

★askaは、迷っている最中の人が好き

★あたしは、迷いを越えてそこを脱皮している人が好き

「なぜaskaは、女性総合職にこだわるのか?興味があるのか?」というのを話しているうちに、

この違いにたどりついた。

そうそう、彼女は常に「迷っている人」「弱い人」たちに視線が向いている。

「これでいいのか」と常に立ち止まり、葛藤をする、その状況にもっとも「人間らしさ」を感じてるのだという。

そうかそういうことか、と納得する。彼女はきっと優しい。

対してあたしは、なんか、(弱さや迷いも越え)ふっきってるような人たちの「強さ」が好きだ。

そういう人たちのことは知りたいし、触れたいし、伝えたいと思う。

まあでも、「最中」なのか「その後」なのかだけの違いで、ラインは一緒って気がするんだけどね。

他にも、

「不自由な枷のある幸せか、孤独とだきあわせの自由か、どっちがほんとにハッピーなんだろう?」という話でも、

「不自由か自由か、じゃなくて、どんなものにせよ、

”自分はどっちだ”って決められてるか(選択している状況)、決められてないか(選択肢がある状況)、が

人の”幸せ感(あくまで、感。)”に関係あるのかも」

のようなことを思い。

やっぱりあたしは、「(ひとつに)選択できた」状況に、幸せ感がある。

でも、「選択できるか、どうか」ってことも、環境によるんだろうなあ。

(結局最終的なオチは、「環境や時代ってほんと人を規定するよね」だった 笑)

だからあたしは、「決められる」環境になればいいな、って思い、そちらに進んでいきたいんだけど。

「昔は選択肢なんてなかったんだから」というようなこともあるだろうけど、

選択肢があり、かつ、しがらみとかぬきで、自分の思いでひとつを選択できる環境はいいなあ。と思ったりするわけです。

なんか、言ってることがよくわからなくなってきたけど。

というわけで、aska、ぺらぺらわたししゃべってましたが、気分転換ぐらいできたかなあ?

あたしのほうが、いろいろ整理できちゃいました(笑)。

論文、がんばってね。

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

迷いの中。迷いの後http://artsmarketing.jp/wp-includes/images/crystal/default.png*arts marketing.jp
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徹底的なユーザー視点文化・任天堂

#本日のインスピレーション:宮本茂さんと任天堂#

年末発売予定の任天堂・新ゲームハード「Wii」に関する、

宮本茂さん(マリオの生みの親)のインタビューを読んだ。

いつみても、知性と謙虚さにあふれた素敵な方だ。

全文掲載・・・しようとしたけど、あ!これ紙媒体だからできない!

(ネット引用に慣れっこになると新鮮)

というわけで、ほんのすこし、心に残ったところを。

■(おもしろそうだけど、飽きられるのでは?という意見に対して)”ちょっと見おもしろそう”がすごく大事

■「おもしろいから作ろうよ!」という単純な理由から生まれたほうがずっと健全。

「おもしろい!」って思わなければ、本当におもしろい商品なんてうまれるわけありませんから。

■(そもそも据え置き型ハードはいるのか?という疑問があり、考えた末)据え置き型ハードは「みんなで囲める」が最大の魅力。そこでDSとの違いがだせる。なので、「みんなで囲むシーンを作る」ソフトを作っていく。

■(次世代ハード競争といわれるが)僕らが競争しているのは本来お客さんの興味

■(E3終了後の次世代ハード人気投票で1位だったが)僕らは「(次世代ハード)どれもいらない」と戦っている。

ものをつくる人として、あまりにまっとうだ。まっとうすぎて、感動する。

(こんだけの引用じゃ伝えられなくてくやしい)

かつ、普段仕事してて、しかもとっくに名声を気づいてて、長い間同じ業界にいて同じ仕事をしていて、

まっとうを保ち続けるのは、ほんと大変だなー!と改めて感じる。

まっとうを保ち続けられるコツはなんなのか?と考えた時、

「常に視線が(社内、業界内ではなく)外へ。コンシューマーへ。」

なんだなあ、と思う。

それを裏付けるエピソードとして、あたしが以前聞いて感動した宮本さん(任天堂)話があって、

それは、ゲームを作る時に、ひとつひとつのゲームのアイデアや仕掛けに「ユーザーからみた値段(この仕掛けを楽しめるんだったらいくら払う)」をつける、というもの。

で、それが、ゲーム1本分の値段以上になるまでは、ゲームを出さないという。

これがたぶん、任天堂の強さ。

気分がのってきたので(だいた風)、もうひとつ任天堂にまつわるエピソードを。

昨年末から今年にかけて大ヒットした「どうぶつの森DS」、

あれに関して、この記事を読んで知ったのだけど、

「どうぶつの森」は、殺伐としていない、戦いのない、終わりないコミュニケーションのゲームなのだけど、

もともと企画段階では、「巨大な悪を倒す」という目的が設定されていた。

しかも、

「動物たちを操りながら複数のプレーヤーが協力して巨大な悪を倒そうとしているうちに、お互いコミュニケーションを取ることが楽しくなって、魔王のことなど忘れてしまう」

なんていう、かなり既存ゲーム(特にロールプレイングゲーム)へのアンチばりばりの思想がそこにはあったという。

でも、ハードの変更に伴う容量の変更で、もう少しスリム化しなければならなくなった、

そのときに

「ストーリー性の要素を削除し、題材を提供する「フィールド」や、毎日継続して遊びたくなるような「変化」に注力することを決断する。」

というわけでできたのが、今の形の「どうぶつの森」なのだ。

個人的には、「既存ゲームへのアンチ」が、いわゆる「作品性」「作家性」にとんがらずに、

「コミュニケーションて楽しいじゃん!」という、システム面へ向いたところに、前にのべた「アイデアに値段をつける」任天堂の強さがあると思うのだ。

「既存ゲームへのアンチ」って、今までいろんな試みがあって、そこそこタイトルは出たんだけど、

だいたい妙に作り手のエゴが出て、「遊ばせないで伝える(ようとする)だけ」のつまんないゲームになる。

そこを、こういう形に転換して、大ヒットをとばしたのか!というのが、任天堂を企業として尊敬するところだなー。

つまり、「既存のゲームに不満がある自分をアピールしちゃう」ワナに落ち込まず、

「みんな、既存のゲームだけじゃなくって、こういうのも遊びたいよね。」という「あくまでユーザー視点を貫きとおせる(とおせる、って重要)」ところ、

それが、一人ふたりのクリエイターだけじゃなく、わりかし会社全体でそういう文化(少なくとも開発畑は)になっているのが、

すばらしいところだと思うし、みならいたいなーと思うわけです。

この任天堂の最新ハード・Wii、E3で触ってきたけど、こちらも、文句なく「新しさ」「気持ちよさ」に感動して、ニコニコしちゃいますよ。

playing=believing!!

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おいでよ どうぶつの森

おいでよ どうぶつの森

  • 出版社/メーカー: 任天堂
  • 発売日: 2005/11/23
  • メディア: Video Game

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